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<title>断片</title>
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<description>ただよう棺おけ</description>
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<title>南条あやについて、すこし</title>
<description> 南条あやについて、すこし立ちはだかる畏るべきやさしさ。があればよかった。たちはだかる、恐るべき強権者である父と、恐るべき強権者になりつつあった町田さんとのはざまで逃げ場所を一瞬、見失ったのだろうか。（これはフィクションとして黙考するのだ。フィクションの中で・・・立ちはだかる畏るべきやさしさになれなかった、ヰワヲくんの悲嘆を思ふのだ。フィクションだ。）歩きながら行き場も逃げ場所も見失う瞬間、ひとはぱ
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<![CDATA[ 南条あやについて、すこし<br /><br />立ちはだかる畏るべきやさしさ。<br />があればよかった。<br />たちはだかる、<br />恐るべき強権者である父と、<br />恐るべき強権者になりつつあった<br />町田さんとのはざまで<br />逃げ場所を一瞬、<br />見失ったのだろうか。<br />（これはフィクションとして黙考するのだ。<br />フィクションの中で・・・<br />立ちはだかる畏るべきやさしさになれなかった、<br />ヰワヲくんの悲嘆を思ふのだ。<br />フィクションだ。）<br /><br />歩きながら行き場も逃げ場所も見失う瞬間、<br />ひとはぱっと。死ぬかもしれない。<br />自殺のデータに、<br />命をとりとめた人の多くは、<br />間がさした<br />と答えるのだと言う。<br />リストカッターを<br />自殺志願者だとぼくは思わない。<br />思いたくもない。しがみ付く模索者だ。<br />ぼくはそう思っている。<br />この世と南条あやをつなぎとめておくツールが<br />眠剤であり、方法がリストカットであるとするなら、<br />そうと知る親はどんなに苦しいだろう。<br />術がなければ、<br />すべもなくイカルだろう。<br />下手な役者がアドリブを強いられて<br />一幕を任されるみたいで。<br />観るに切ない。<br />このサイトを開いた（見た）のは、4，5年前だった。<br />そのあとも時折、なぜか見返して今、<br />われながらイヤな父親役の男としてまたページをながめている。<br />もうこの心境は、祈りに近い。　<br /> ]]>
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<dc:subject>未分類</dc:subject>
<dc:date>2009-11-26T15:04:55+09:00</dc:date>
<dc:creator>欠谷幸丸</dc:creator>
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<title>暗闇でこの手に触れて、</title>
<description> 出会う、会う、関わる、めぐり合う、縁。そんなものとこうきのことを重ねてみる。かさねてもかさねても、重ならない。メディアや情報端末を通じて、こうきが外界と通じたような気になっていても、外界はこうきとは決して繋がらない。これは双方向メディアのようなものでも、状況は変わらない。ぼくはやはり関係とは、実感を伴うものだと思うのだ。これは、分かりやすく捉えれば肉体的に触れたりすることも大いに含むと、思うのだが
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<![CDATA[ 出会う、会う、関わる、めぐり合う、縁。そんなものとこうきのことを重ねてみる。かさねてもかさねても、重ならない。<br /><br />メディアや情報端末を通じて、こうきが外界と通じたような気になっていても、外界はこうきとは決して繋がらない。これは双方向メディアのようなものでも、状況は変わらない。<br />ぼくはやはり関係とは、実感を伴うものだと思うのだ。これは、分かりやすく捉えれば肉体的に触れたりすることも大いに含むと、思うのだがそればかりともまた違う。なんだろう、場の気配のようなものだ。そんなものが通じ合わなければ、コミュニケーションが完成するとは思われない。<br />たとえば、神や霊の気配にひとは感激して涙を流すだろう。だから身をささげることだってできる。西行はかたじけなさに涙を流した。人とめぐり合えた感謝に、涙を流すことだってある。実感のある関係とはそうしたものではないだろうか。<br /><br />200910112<br />暗闇でこの手に触れて、あると知り、強く握って。離さじと思う。<br />http://blog.auone.jp/kakeyakoumaru/<br /> ]]>
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<dc:subject>未分類</dc:subject>
<dc:date>2009-11-26T11:59:36+09:00</dc:date>
<dc:creator>欠谷幸丸</dc:creator>
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<title>メディア武装解除宣言</title>
<description> 宣言先日、こうきを連れてTSUTAYAに行くのに塚口の家に立ち寄った。ちょうど昼食にバッティングして、こうきと老祖父母が食卓にあった。食事待ちの間、ぼくはソファーに腰かけて全く読むつもりもない新聞を、腕いっぱいに広げてばさばさと、ページをめくって、ページを戻して、めくっては戻しをなんども繰り返した。つまり、することがなかったのだ。こういうシークワンスは精神を痛めつける。論告求刑みたいなものだ。証拠を積み
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<![CDATA[ 宣言<br /><br />先日、こうきを連れてTSUTAYAに行くのに塚口の家に立ち寄った。<br />ちょうど昼食にバッティングして、こうきと老祖父母が食卓にあった。食事待ちの間、ぼくはソファーに腰かけて全く読むつもりもない新聞を、腕いっぱいに広げてばさばさと、ページをめくって、ページを戻して、めくっては戻しをなんども繰り返した。つまり、することがなかったのだ。<br />こういうシークワンスは精神を痛めつける。論告求刑みたいなものだ。証拠を積み重ねられて追い込まれていく感じがする。<br />こうきはF1におけるミシュランの動向とタイヤの機能についてを老祖父母に話していた。こんなくだらないはなしがあるだろうかと思った。聞くでもなく聞いていて、つくづくそう思うのだ。ふんふんと時々相槌を交えながら、義父は食べながら義母はたなもとに手を働かせつつ応じている。ほんとうには、ふたりは何を感じているのだろうかと空想するとぼくは、額に汗がにじむのだ。手が震うのだ。若きニートの精一杯の話題がこの、F1だ。父母はいかにも興味もなく面白くもないこの話題を、聞き流しながら、本心を細心に逸らしつつ、この作為的小劇場を巧みに演じてゆく。このいくじのない孫がいつまで、ふたりの年金でこうして飯を食らうのか、それを放置するこの身勝手な男は何なのか、誰の金で買った新聞をそうやってずうずうしく、わがもの顔にひろげているのか、そんなト書きが胸に突き刺さる。貴様の責任でこのニートを、現実世界に引きづりだせ。そんなセリフが頭の中を交錯する。口角をあげて場をつくろいあう柔和な顔に、そんな深意を感じる。<br />あらゆる存在とは、じつは関係である。まさに作為だ。家族も当然にあるものではなく作るものだ。いつくしみ育てるからこそ、大切なものに変容しうるのだ。それは健全であろうが、このように病的であろうが、涙ぐましい日常の努力を積み重ねなければ成立しないものなのだ。来る日も来る日も食卓を囲み、この苦行のような問答をつづけて関係を保存させているのだ。これまで自分はそういうことから逃げてきた。そう思えば、いまさら強権は慎むべきだと100回思った。恐らくあと150回は思うだろう。「考え方」という高所に立てば、はたちも過ぎた子に何をか況んや、とは今でも痛切に思うのだが、生身のこの子を創るために必要なことは旧弊の破壊だけなのではないかとずっと、思いつづけてもいる。再生ではない。あるものを改めるのではないからだ。これは創作だ、では。「いま」のないこの状況を破壊して「いま」を降臨させようか。さては、まず彼の逃げ場所としての情報を途絶させようか。ひとは自らの行動の是非や判断の素材として情報を必要とするべきだ。情報を体に巻きつけて蓄えるか垂れ流してそれを、あたかも自分であるかのように錯覚して自分を安心させる人種とは、これまでに多く付き合ってもきたし、かといって特別意に介することはなかったし、批判したこともない。カタログボーイが一面において模索するひとであることも経験上知っているつもりだ。それを断破するのは過去の自分にツバすることだとも感じる。しかし、理由も弁解も反駁もなく、あるものはタイムリミットだけで。ここはひとつ情報しか持たない者から情報を奪ってみようかと思うのだ。これは理不尽にして静謐なる暴力である。<br />2010年4月1日<br />こうきの抽象的逃げ場所としての外界との干渉手段を途絶させよう。PC、ケータイ、自室内テレビ、ラジオを剥奪しよう。ほかにあるならそれも奪おう。そうしたなら、こうきはどう動くのだろうか。台所に下りてそこをすみかにするか。家の外に向かうか。親を恨んで背中を刺すか。もしかして・・・護っておくれ、南条あや。あるいは社会のせいにするか。それとも自分を軽蔑するか。「自分を軽蔑することすら出来ない人間になるな」、その警鐘を聞いて、もう25年以上になる。<br />かれは・・・自分を軽蔑できるか。<br /><br />メディア武装解除試案<br />①実施予定日4月1日以降、順次<br />②こうきに内観を期待し、情報環境から隔離する実験である。<br />③メディア端末としてのPC/ケータイ/テレビ/ラジオを没収する。手持ちの情報そのものやソフトは隠蔽してかまわない。<br />④働かなくてもよいが、「予定行動」が取れたと認められた時点で、すべて返却する。<br />⑤予定行動とは将来設計でなくてもいい。やみ雲でも無思考でもいい。決めて行動に移すというだけのこと。<br />⑥今後、隔離実験がこの範囲で収まるかは分からない。この行動はあくまで理不尽なしずかなる暴力である。だから、なんで？と問われても答えない。・・・ああ、やだやだ。<br /> ]]>
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<dc:subject>未分類</dc:subject>
<dc:date>2009-11-26T11:12:14+09:00</dc:date>
<dc:creator>欠谷幸丸</dc:creator>
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<title>人生のたいせつ</title>
<description> ・・・・そうだ。親子であれ恋人であれ夫婦であれ友人であれ。感性が合うだとか、性格が合うだとか、ウマが合う、反りが合うなんて、そんなのは奇跡だ。たとえば、家庭はたいせつなものだと教えられる。しかし、なんで家庭がたいせつかがわからない。そんな突き詰めた理念もないくせに、言われるがまま親子のまね事をしている連中は鈍感か、偽善的か、自分をだましているか、気づかないふりをしているかのように感じられた。高校生
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<![CDATA[ ・・・・そうだ。<br />親子であれ恋人であれ夫婦であれ友人であれ。<br />感性が合うだとか、性格が合うだとか、ウマが合う、反りが合うなんて、そんなのは奇跡だ。<br /><br /><br />たとえば、家庭はたいせつなものだと教えられる。しかし、なんで家庭がたいせつかがわからない。そんな突き詰めた理念もないくせに、言われるがまま親子のまね事をしている連中は鈍感か、偽善的か、自分をだましているか、気づかないふりをしているかのように感じられた。高校生の頃の作文にそんなことを書いて教師に、お前は薄情だと言われた。自分が親になってみれば、こんどは「そんな連中」の仲間入りすらできずに逃避した。<br />しかし、最近ようやく思うのだ。家族は大切なものだから大切にしなきゃならないんじゃない。<br />たいせつにすると決めて、たいせつにするから、それはたいせつなものになるんだ。そう決めることがだいじだったんだ。とすると、親子でも、夫婦でも恋人でも友人でも、つまりは自分がそう決めるという意志だけにかかわっている。ほかのだれでもなく、世界は自分が決めたとおりになるんだ。そうだと決めて相手を認めて強く抱きしめることで、相手はたいせつなものになる。ああ、涙がとまらない。これは人類の英知だ。あまりにも美しい。<br /><br />ぼくは、過去をほとんど後悔しないことにしている。しかしいくつかは、内心しまったな・・・と思うことがないではなくて、（これは数少ないそんな）反省のひとつに数えるべき。なんだろうな。<br />さらさへ。<br /> ]]>
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<dc:subject>未分類</dc:subject>
<dc:date>2009-11-25T16:23:10+09:00</dc:date>
<dc:creator>欠谷幸丸</dc:creator>
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<title>語らないコミュニケーション</title>
<description> 語らないコミュニケーションひとはものを買うときなんらかの、判断をしている。しかし、理屈ではなく、全く買うつもりもなかったのに買ってしまったと聞くことが、たびたびある。骨董品を扱う商売をしていることの特殊性なのか、世間一般にそうなのか、ぼくには分からない。ものを介してそうなのか、売っているぼくを介してそうなのかこれも、わからない。しかし、ぼくはそんなとき、波長が共鳴するのだという。モノでも人でもそれ
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<![CDATA[ 語らないコミュニケーション<br />ひとはものを買うときなんらかの、判断をしている。しかし、理屈ではなく、全く買うつもりもなかったのに買ってしまったと聞くことが、たびたびある。骨董品を扱う商売をしていることの特殊性なのか、世間一般にそうなのか、ぼくには分からない。<br />ものを介してそうなのか、売っているぼくを介してそうなのかこれも、わからない。しかし、ぼくはそんなとき、波長が共鳴するのだという。モノでも人でもそれぞれが固有の波長を持っている、見えたことなんてないがそんな気がする。その波長が共鳴するのだ。それはほんとうに稀なことなのだとぼくは、いう。1000点のモノがあっても、共鳴するのはそのなかで数点でしかない。これは不思議な、事実だ。ひとでもそうだ。きっと一生をついやして多くの人にめぐり合っても、そう実感できるひとは僅かな数でしかない。しかしモノでもひとでも敏感に、神経を研ぎ澄ませていなければ、そんな共鳴の反応にすら気づかない。さびしいことだと思う。これは、すきだとかきらいだとかそんな感じじゃない。<br />さらさへ。 ]]>
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<dc:subject>未分類</dc:subject>
<dc:date>2009-11-24T20:05:33+09:00</dc:date>
<dc:creator>欠谷幸丸</dc:creator>
<dc:publisher>FC2-BLOG</dc:publisher>
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<title>『１４才の母』礼讃</title>
<description> 『１４才の母』礼讃親は子供の社会的でない行動に如何に関わり、世間と対峙するのか。応接するのか。このドラマは幼い母のゆらめく心のストーリーではなく、その親のたちの覚悟のストーリーだ。14歳の一ノ瀬未希と15歳の桐野智志に子供ができて、女の子は産みたいと思って決心をして、男の子は何をすることも当然に出来なくて、その現実に距離を置かざるを得なくなる。周囲の批判にさらされ孤立する女の子は、しかしやがて、ひとり
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<![CDATA[ 『１４才の母』礼讃<br /><br />親は子供の社会的でない行動に如何に関わり、世間と対峙するのか。応接するのか。<br />このドラマは幼い母のゆらめく心のストーリーではなく、その親のたちの覚悟のストーリーだ。<br /><br />14歳の一ノ瀬未希と15歳の桐野智志に子供ができて、女の子は産みたいと思って決心をして、男の子は何をすることも当然に出来なくて、その現実に距離を置かざるを得なくなる。周囲の批判にさらされ孤立する女の子は、しかしやがて、ひとりひとりとシンパシーを回復してゆく。最後には離れた男の子も中学を卒業して将来の結婚を約束する。当然に主役はこの女子＋ひとり＋男子なのだが、ストーリーのプロデュースとシナリオはお母さんを中心とした大人たちが担っているわけだ。おとなが、かれらとかれらの要求を受け入れなければ、この話はどれも実現されないからだ。<br /><br /><br />自分の子供のひたむきな姿をまのあたりにした時、親たるものはひたむきな子供を否定できるのだろうかと思うのだ。<br />こんな、あまっちょろいやつらをと鼻で笑いながら、しかも最後の最後まで、子供も親もあまっちょろくて。<br />でも、思えば、あまっちょろいことが、なんでだめなんだと。<br />あまっちょろくていいじゃないかと。<br />そう思う自分がいるのだ。<br />それよりは、ひたむきであることのほうが、もっと心地いい。<br />そう思うのだ。<br />「おとうさんとおかあさん」にとって、孫が一人出来て、娘と孫をまんま養育することなど、それほど今の彼らの経済を脅かす負担にはならないないだろう。覚悟と言えるほどものではないかもしれない。しかし、やはり社会性を帯びたふつうの家族にとってみれば、これは驚天動地だ。驚天動地でなければならない。<br /><br />未希はストーリーを負うごとに、孤立してひとりだと思い込んでいた自分が、実はひとりでなかったことに気づき始める。しかしそれは彼女がひとり、またひとりと自分の味方を増強させていった結果でもある。<br />彼女は思う。わたしは、子供として、父母に大切にされている。きりちゃんは少なくともわたしのことを好きだと言ってくれて、たとえ現実にはこの思いがわたしの一方通行であったとしても、そのかかわりの記録媒体として「そら」がいる。しかも、そらは、わたしの自身と私の行動の存在証明だ。さらに、わたしや、わたしが大切に思うひと、わたしを思ってくれる人と同じ、一個の存在だ。<br />わたしはそらと死ぬまで別れない。それは、そうわたしが決めたからだ。わたしが覚悟したからだ。わたしは覚悟したらもう変わらない。覚悟には理由があるからだ。そしてわたしが変わらずにいれば周りが変わる。周りが変わらなくてもかまわない、それでもわたしは変わらない。わたしは決めたからだ、覚悟したからだ。<br />ひとは、それぞれに人格、パーソナリティーをもっていて、環境からも関係するひとからも、生きていくためのいろんなヒントをもらい、大小の覚悟を重ねて・・・収斂してひとつの方向へ歩いてゆく。その方向とはどの方向なんだろう。<br />もし、ひとがほんとうに逃げなければ、ひたむきになれれば、この足はどこへ向かうのだろう。<br />それへの一過程をしあわせと呼ぼうか。<br /><br />自己保存の行き着く先は散逸傾向だ。それはわたしの体の現象としては死だ。自分が消えて、消えて環境に溶けこんでゆく。行き着く先は安定と調和の世界だろうか。<br /><br /><br />いま、この世界には情報が多い、しかも錯綜している。選択肢が多い。多くの場面で、多くのことを決めねばならない。決めなければならないと思うし、決めろと迫られる。どの選択が正しいという判定は今の時代、誰にもできなくなった。それほどに多岐である。<br />キリちゃんは産めば後悔するといった。<br />未希は産まなくても後悔するといった。<br />あまたある選択肢のなかで、選べるのはひとつのルートだけだ。だから、うまくいかなくても、うまくいっても後悔する。<br />何を選択しても変わらない。必ず後悔する。どの選択肢においても必ず後悔が用意される。さて、後悔しない唯一の方法は。それがあるのだ。決めるにあたって覚悟することだ。どうだっていいからこそ覚悟するのだ。「あったら死ぬまで別れない。」未希はそう言ったが、覚悟したら死ぬまで変わらない。人生はそんな大小の覚悟の積み重ねだ。結果は同じでも、後悔することはない。それを幸せと呼べるのではないか。きりちゃんはママに言う。人が認めてくれなくても、自分自身が納得できるような生き方のなかで、誰よりもでなくていいから、ただ幸せになりたい。<br />何かを得ようと思わないことだ。反応を期待しないことだ。反応によってうろたえないことだ。阿久津先生は言った。<br />あなたたちにできることはせいぜい目をつぶることぐらいじゃない。でも目を閉じても、状況は何も変わらないわよ。こんど目を開けたら状況はもっと悪くなっているだけ。<br />覚悟があっても、目を閉じるかもしれない。<br />怖くなって、目を閉じるかもしれない。<br />しかし、つぎに目を開けたとき。<br />まよわず自分を動かすものが、もしあるとするならば、それは前もってあった覚悟だけじゃないかと思うのだ。<br /><br />実は、１４で子供ができるというのは悪い事態じゃない。ドラマの中のすべての否定的条件がクリアできれば、相部屋の妊婦、池山さんのセリフは一方で的を得ている。カップルの相互関係（←これは難しいが）。経済的な条件、あるいは早い年齢の妊婦や産児の疾病傾向・・・脳と体の発育の傾向・・・それらがクリアされるのなら、決して悪いことじゃない。<br />きりちゃんが言う「順番が逆なだけ・・・」というのもあたりだ。そういう意味で「若っ。いいなあ。まだ１４だったら、なんだってできるじゃない。」というセリフは年老いた大人たちの心境を代弁している。したくっても、多くのひとができない現実もある。「限界あるわよ、」なのだ。<br /><br />一話の冒頭、未希はなぜだか橋の柵の外に出てしまって、落ちそうで、つまり死にそうな仔犬の命を助けようとする。<br />「なに見てるの。」<br />「助かればいいなあと思って。」<br />「やばっ、落ちたら死んじゃうかも。」<br />「どうしてあんなところにいるんだろう。」<br />「理由なんて、どうでもいいじゃん。」<br />「おい危ないって、やめとけよ。」<br />「大丈夫。体育だけは自信あるから。」<br />未希は仔犬を助けようとして。足を滑らせて橋から落ちそうになる。<br />そんな未希をきりちゃんは助けようとする。<br />「つかまって。」<br />「無理。離したら落ちる。」<br />「だから危ないって言ったじゃん。」<br />「文句言うなら助けなくていい。」<br />「そうはいかねえだろ。」<br />「もし私が死んだら、お葬式に来てね。子犬を助けようとして死んだやさしい少女って言ってね。」<br />きりちゃんは未希の手を取ったが、<br />二人は共に川に落ちて、<br />「ばかみたい、浅いよ、これ。ばかみたい。」<br />「びっくりした。」<br />橋の上から川の中に落ちたふたりは、無傷で助かって。仔犬はもちろん助かって。・・・ドラマ全編のメタファーである。<br /><br />きりちゃんは子犬に関心があるが傍観者でしかない。未希はそこあるものの存在を認めて行動する。行動して覚悟した。もうゆるがない。<br />未希は仔犬の命を助けようとして足を滑らせる。きりちゃんは、助けないわけにいかないから助けようとする。しかし共に落ちる。助かってみれば、案外浅い。<br /><br />きりちゃんと結ばれた後、きりちゃんは未希から遠のいた感がある。彼女に対するうしろめたさが拭えずにいることと、自分が彼女に立ち止まることに対する苛立ちがあるのだろう。<br /><br />未希はみんなに望まれて産まれた、と父は言う。ひるがえって、こどもがわたしにできているとすれば、この子はまずい。<br />この子は誰にも望まれない。不安が現実となって、未希は妊娠を自覚する。<br />今でさえ、きりちゃんとの距離を感じるのに。会ってくれないのに。子供が出来たと知られれば、ますます遠ざかるのだろうか。<br /><br />命を助けたジミは大きくなった。<br />「こわかった。自分の体が自分の体じゃないみたいで。<br />誰にもいえなくて。はじめて、私はたった一人なんだって思った。<br />おかあさん、たすけて。たすけて、おかあさん。」<br />きりちゃんと過ごした夜、「ねえこれ、いけないことなのかなあ？」と自覚とも疑問ともつかない言葉を口にした未希だが、<br />それは果たして「いけないこと」なのかという認識への抵抗がこころの奥にはいつもある。行為そのものではなく、わたしのきりちゃんへの思いはいけないことではないと言う自負もある。そういうきりちゃんへの思いは子供への傾斜を形作るだろうか。禁忌とは常に説明不足なものだ。<br /><br />おなかの子への確信は、結果的には的場先生の登場で決定付けられる。<br />周囲からのきりちゃん否定への反発も、こども（≒きりちゃん）への傾斜に向かう。<br />きりちゃんを好きだという宣言はもうそれが自己保存だ。<br />手術の日の朝、的場先生はすいぶん苦しんだねと言ってくれた。そうなのだ。<br />産むにしても産まないにしても、どちらもがつらい選択だと言ってくれたのは的場先生だけなのだ。<br />なぜわたしが、いけないことをしたかの、いけないことの理由は、16歳以下の女性に対する肉体的リスクだった。的場先生は、学校の勉強や世間への目なんてどうにでもなることだと言ってくれた。でもあなたが死んじゃったら取り返しがつかないことだと言ってくれた。それがいけないことなのだ。<br />だから、この子は「いけないもの」じゃなかった。これは本来大メルクマールだろう。世界に一人きりだと思ったとき、そうではなくてお腹の中の子供がいることに気づくなら、そのとき女性は、紛れもなく母となり、こどもを守ろうと突き動かされる。<br /><br />おなかのこどもは観点を変えれば、それは関係の証明、私を含めこんだ存在の<br />立ち位置、存在理由＝レイゼンテイトルなのだ。<br />子供のころ。レイゼンテイトルと言う言葉を聞いた時、それはあるものか無いものかの問いかけのように感じていた。<br />あるいはそうしたものにすがるという意味で、この言葉、存在理由＝レイゼンテイトルがあるのだと思っていた。<br />しかし。違ったのだ。これは、あれかこれかのチョイスではない。あらかじめ用意されている回答でもない。レイゼンテイトルとは、覚悟なのだ。<br /><br />最終的にはきりちゃんも未希もおとうさんもおかあさんもきりちゃんママも逃げないで向き合う。向き合わなければ覚悟は生まれない。<br />きりちゃんは逃げちゃいけないんじゃないかと思ったわけだが、<br />男子の決断は、きっと女子以上に時間がかかる。<br />このたった１５歳の少年が、実際には半年で覚悟して逃避に決別し、自分以外もののために生きる決心をする。他のすべての選択肢を、自ら閉じたのだ。<br />週刊誌に端を発してきりちゃんママの会社は倒産に至る。しかし、母は実はそれに一言も触れない。これも強く潔い。全編のなかで、14才の親子から、取り返しの付かない甚大なる被害を被ったのは、（表現上）きりちゃんのママ、ただひとりだ。<br />自殺の後、退院するシークワンスでは<br />「罪滅ぼしのつもり？」と言う。それは、そういう事実関係の顕れだ。<br /><br />一ノ瀬一家の選択は、一般的なものではない。この選択がもし（いわゆる）幸福にいたるなら、それはよほど経済的には平均以上の恵みがなければならないし、家系的にも適当な水準を保っていなければありえない。そのことを当事者の内側から指摘しドラマが単に偽善的にうわっ滑りしないように摩擦抵抗をかけるキーパーソンがきりちゃんママだ。<br /><br />存在とは関係であって、関係は意志に基く。意志はやがて覚悟につながる。<br /><br />人間は社会の中で生きている。世間・・・でもいい。<br />人間はさらに言えば、社会を逃避しては生きられない。<br />産まれることはそのまま、社会への帰属を意味する。<br />生まれている者も、産まれる者もここからは逃れられない。<br /><br /><br />さみしくたって、大事なものがあれば、がんばれちゃいますよね。<br />大事なこと、だいじなもの・・・生きる理由はそれだけだ。理由は自分で決めるのだ。<br />お腹の子供は、自分と惚れた彼との関係の記憶である。<br />母は「子（=わたし）に会うために生まれて来た」と思ってくれていた。<br />たれもが、だれかの子である事実。<br />わたしはわたしの子に会うために存在したのだという感情。<br />わたしはだから、この子に会いたい。と結論し、<br />母は、私のおなかの子を否定できなくなる。<br />おかあさんは『覚悟』する。<br />おとうさんは、問題解決のためにちいさな覚悟を重ねてゆく。<br />ぶれているようでぶれていない。甘かろうが辛かろうが、いいんだかわるいんだか徹底して未希を見守りつづけている。そしてやがてそのために、きりちゃんさえも見守る。<br />きりちゃん母は、信じられないくらいノーマルで、ひたむきだ。そして社会の正当性を代弁している。すなわち、彼女の語る言葉は常に正しい。論理的で一時の感情に左右されない。そんな機能だ。<br />それにしても未希のまわりのメンバーのいかにすさまじいことか。生きる力をどんどん強力にしてゆく。だれもがすさまじくて、やつらがじわりじわり未希の味方になってしまう。<br />なんでだろう。理由を突き詰めれば、ひたむきだからだ。自らを決める（覚悟する）逃げない、ひたむきである。それが生きる、唯一の方法だ。<br />ひたむきであることが、ひとを味方にする。<br />ひたむきでなければ、ひとは振り向いたりしない。味方になんてならない。<br />（『女王』も『正義』もひたむきだ ）<br /><br />命には様々な側面、見え方があって、過去、<br />人命を軽軽しく扱うかに見える時代を人類は経験してきた。人柱あり幼少年の生贄ありで、それらを制度としてすら備えたし、あるいは戦のたびに勇ましき子供たちを死なせてきた。洋の東西のあらゆる文化が辿った道だ。<br /><br />命だけではなくて、存在とよばれるものは関係によって成立している。<br />わたくしならわたくしが、わたくしだけで自尊独立孤立しているなどは、有り得ない。<br />１４歳でこどもができて、こどもを産むという事態は、プロデューサーがいうように、<br />社会的に出産を容認されない設定だ。<br />出産と生命の誕生は異なる。出産と生命は異なる。社会の中での生命とは、今の社会の中での生命をさすのであって。これは過去において異なり、これからも変化する特殊性を帯びている。<br />生命と「生きる」ということは違う。「生かす」ということとも違う。<br />すべては関係の中で表現されるからだ。<br />形而上的に思念化された、こうあるべき理想の生命観と現実のギャップ。これはだれもが、知らずもがなに知ってしまう。だれもがうすうすではなく、はっきり感じている。命のいかにもろく儚くて、いかに無価値な見え方をするか。だからこそ、その寂寞の荒野に立ったとき、いかに命が大切に思えるか。そういうことだ。いのちは勝手に大切なものなのではない。大切にするものなのだ。<br /><br />さて、三流雑誌記者。<br />情報を積み重ねると、ひとは少し賢くなったような気になる。えらくなったような気になる。「ネットでは情報を持つものがカリスマだ。」しかし、自分自身のフィルターを持たないものが情報を食らい続けても、ただブクブク太るだけじゃないか。体内に有効な消化機能と免疫機能を持たなければ、人ごみに出ちゃあいかんのだ。<br />記者はプライバシーを暴く。しかし記者は戦わない。現象の表情を無責任に垂れ流すだけだ。それは好悪ではなく、それが職責なのだ。表層しか捉えない。これはもうしようがない。<br />何も知らないくせに・・・とお母さんは記者にはき捨て言うが、他人は苦しむ人の、何かを知りたいわけじゃない。自らが関わる必要はないし、関わってはいけないし、関わりたくないと思っている。真実なんてどうでもいい。むしろ知りたくないのだ。<br /><br /><br />記者は「こども」を、十把ひと絡げに並立して捉える。銃を持って戦う子供と飢えて死んでゆく子供と<br />子供をつくって（しまって）思い悩む（だけの能力はみあげたものだが）子供を同等に語ろうとする。子供とは、社会環境の産物だ。社会環境の産物なのだ。戦場写真のハザマにみき＋さとしのプリクラを貼るシークワンスにもそのあたりのカテゴリーエラーがある。<br /><br /><br />さて、そらが産まれて。<br />未希は産まれた子にありがとうと語る。まさに未希は、そらにおいて存立したのだ。<br /><br />訪れたきりちゃんは未希の背中に「一ノ瀬」と呼びかけた。前段までの風からしてぼくは、二人が出会ってこのかた、きりちゃんははじめて自分から彼女を呼んだんじゃないかと思った。あまりにも堂々とした、決意と覚悟の威風を感じた。ひとはこうなれるんだ。二年経って18になって・・・といっていたから、もう誕生日を過ぎて16歳か。尊敬に値する。<br /><br />きりちゃんは中学を卒業して子のために働くことを覚悟し、一ノ瀬に言う。<br /><br />一ノ瀬といるときは、おれだった。<br />一ノ瀬といるときだけは、いつも空がきれいだと思った。<br />思念として自分と一ノ瀬と空とそらを重ねることが可能になる設定だな。<br /><br />その子は、ほんとうのおれの子だ。その象徴がそらだ。<br />ふたりのキモチが空に重なって<br />そらとなってつながった。<br /><br />二年たてば、ふたりは結婚したいとお互いの親を交えて語る。<br />きりちゃんママは言う。<br />二年もたてば変わるわよ。<br />未希は答える。<br />変わりません！<br />変わらないことは期待や希望ではなく、彼女には変わらない理由と確信がある。<br />会ったら、死ぬまで別れない覚悟がある。<br />きりちゃんママは言う。<br />懲りない子ね。<br />おかあさんは答える。<br />私の娘ですから。<br /><br />出産での失血のために瀕死の床にあった未希をして、おかあさんはこう言った。<br />未希は大丈夫、だってもう、母親なんだもん。<br />あまりに唐突に聞こえたが、唐突なだけにこのセリフはずっと気に懸かった。気に懸かりながら、<br />私の娘ですから、に至って、生かされた気がした。<br />ここに至ったのは、まさにお母さん。<br />彼女の覚悟と意思の帰結だ。<br />未希ではない。母親の覚悟と意志だ。<br />そして、ここからは未希の母親としての覚悟と意志の歴史が始まる。<br />すでにそれは始まっているのだろう。<br /><br />キツイんだろうけど。<br /><br /><br />あとひとつ、<br />ひとが、心の内奥で思いつくことも、こうあらねばも、おためごかしも、おもんばかりも、これほどまでにそれぞれにすれ違うものなんだと改めて気づかされる。ドラマによくある手法としてのすれ違いを指すのではない。描かれる人たちは、ひたむきで独善的で、好き勝手だ。ちから技の応酬だ。きりちゃんと未希。未希とおかあさん、おとうさん。家と家と社会。そのなかで、中絶の意味。認知の捉え方。産まれる子供への感情。まっすぐなんだが、みんなバラバラなんだ。バラバラで交わることなく、慌てふためき、それでも同じ時空で、同じ土俵でひたむきに右往左往している光景が、「ああ、それでいいんだ。」と思わせてくれる。本来なら論理的にか感情的にか収斂させるところを、バラバラにそれぞれがそれぞれの覚悟の裡で収束させて、次に進めてしまう。しかし現実の推移とはそうしたものだ。そういう意味ではここにリアリティーが潜んでいる。このストーリーをいろんな立場のひとがいろんな観点から眺めて、でもつまりはこうなんだろうな・・・ときっと思わせてくれるなら。そういう意味で肩の力を抜かせてくれるなら。その放置の仕方が良い具合なのかもしれない。<br />これは観る回数を重ねるごとに感じた。現実に引き写せば、キツイだろうな、という心配とともに。<br /><br />「勝手にすれば。でも、わたしは認めないわ。<br />悔しかったら本気でやって。<br />わたしにおめでとうって言わせるのね。」<br />きりちゃんママのお言葉だ。<br />社会たるものに口があればきっと、こう言うのに違いない。大いなる愛情を添えて。<br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /> ]]>
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<dc:date>2009-10-27T11:41:56+09:00</dc:date>
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<title>礼賛の序。</title>
<description> 礼賛の序。『14才の母』というタイトルは、若い女子にこどもができてしまうというセンセーションを思い浮かべてしまう。ところが、実物の感触はまったく違うんだ。ぼくはこのDVDをひと月見続けて。こっそり、ひと月、毎日わんわん泣き続けた。わんわんだ。今もだ。おかあさんとおとうさんとキリちゃんのママに共感するのだ。反発以上に共感するのだ。いい、いい・・・あっていいと思うのだ。エールを送りたくなるのだ。ひたむきな
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<![CDATA[ 礼賛の序。<br />『14才の母』というタイトルは、若い女子にこどもができてしまうというセンセーションを思い浮かべてしまう。ところが、実物の感触はまったく違うんだ。ぼくはこのDVDをひと月見続けて。こっそり、ひと月、毎日わんわん泣き続けた。わんわんだ。今もだ。おかあさんとおとうさんとキリちゃんのママに共感するのだ。反発以上に共感するのだ。いい、いい・・・あっていいと思うのだ。エールを送りたくなるのだ。ひたむきな子供を支えようとする親たちの葛藤に共感するのだ。<br /><br />『女王の教室』でなんでヒトを殺しちゃいけないのか、が語られた。24人の生徒に24通りの幸せがあるのだというテーゼが高らかに立てられた。それのひとつの回答がここにある。<br /> ]]>
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<title>ニート？なんだぁそれ。</title>
<description> ニート？なんだぁそれ。あれか、働かねえでブラブラしてるやつ。死にぁいいんだ、そんなお荷物。聞き馴染んだような、こんなセリフが、いちばんツライ。子供が大学に通っていないと聞かされたのは去年の秋だった。年齢でいえばもう卒業を控えて、就職活動に奔走しているのが、ごく当たり前な人生スケジュールだ。ところが大学に通っていないという。通っていないどころか通っていなかったという。まったく、だったらしい。してみる
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<![CDATA[ ニート？なんだぁそれ。<br />あれか、働かねえでブラブラしてるやつ。<br />死にぁいいんだ、そんなお荷物。<br /><br />聞き馴染んだような、こんなセリフが、いちばんツライ。<br /><br /><br />子供が大学に通っていないと聞かされたのは<br />去年の秋だった。<br />年齢でいえばもう卒業を控えて、就職活動に奔走しているのが、ごく当たり前な人生スケジュールだ。<br />ところが大学に通っていないという。<br />通っていないどころか通っていなかったという。<br />まったく、だったらしい。<br />してみると都合三年の間、大学には行かず、それなりに朝出かけて夜に戻る生活を淡々と繰り返していたことになる。アルバイトをするでもなく、マージャンに浸るでもなく、女におぼれるでもない。<br /><br />なんなんだ。<br /><br />他人なら・・・いるんだよな、そういうのが。ということで閑話休題なんだが、自分の息子となると無性に腹が立つ。こどもが優秀だと、きっと自分自身が優秀かのような錯覚に陥って、いやらしい自慢をする神経の裏返しで、子供のデキが悪いと、こどもを必要以上に卑下して目をそらして卑屈になって、本人には努力が足りんと罵倒したくなる。あくまで、自分には何の落ち度もないフリをしていたい。そして最後は、どうしようもなくなると。<br />置き去りにするのだ。<br /><br />大学からは放校を宣告された。こうなれば働くしかないな。周囲はそう思った。<br />それ以外の選択肢があるなんて親は思いもしなかった。<br /><br />ハローワークに行け。<br /><br />ハローワークにさえ行けば就労はスタートすると思っていた。<br />それ以外の選択肢があるなんて思わなかった。<br />あるかなしかなんて仮定すら想定していない。そんなことに立ち止まって思い悩むことなど、カケラも念頭にはなかった。<br />一般に社会人は自分の人生を潰さないレールに乗るべきだ。 社会もそれを望むから、そのバリエーションは様々に用意されている。まれにその軌道を脱線しつつも潰れない手を打っている、したたかな者もある。しかし、実際に逸脱した者は潰されるのだ。これはよほどの事情がない限り、選択さえ許されない。自分が生まれたいと思って生まれるわけではないように、選択の余地はない。しかし、この子の父は思うのだ。こうなれば逸脱してくれてもいい。そのほうがいい。けれど本心を言えば、ほかならぬ自分の子供の話だ。普通でいてくれることが望みだ。そもそも、そんなことにいちいち逃げるなと叫びたいのだ。<br />逃げていては幸せになんてなれない。「幸せ」か、じつに手垢にまみれた陳腐なことばだ。幸福論なんて、道徳を語るくらいに無価値だ。しかし親の立場となればそれでよいのだと願う。それは「6％の幸せ」なんかじゃない。祈るのは「24通りの幸せ」だ。キリちゃんの言う「ただの幸せ」だ。しかしその幸せすら、この社会の中でしか実現されない。これは期待でも疑問でも教訓でもない。古今東西に自明のきわめて簡単な鉄則だ。<br /><br />しかし、こどもは付いて来いといって一緒に歩き始めてくれたつもりでいても、結局は動かずにじっとしていた。いっそどこかに遠く走り出してくれていればいい。血まみれで横たわっていてもいい。私を後から刺してもいい。<br />しかし気が付けばいつも彼は傍にはいなくて、振り返れば、二三歩進んで立ち止まったまま、遥か後方にひとり佇んでいる。そんな印象なのだ。<br />具体的には逃げている。逃げ込んでいる。あれからも逃げて、これからも逃げて、自分の部屋に逃げ込んで布団にくるまっている。<br /><br />自分を保ち 自分を幸せにする方法は、ただひとつ逃げないってことだけだ。じゃあ何から，となれば、それはなにもかもからだ。逃げなければ ひたむきになれる。ひたむきであることが、この世界でただひとつ自分を立たせ、人を自分に引き付け、自分に巻き込む方法だ。もちろん見向きもされず孤立する可能性だってある。それでもかまわない。ひたむきになるためにはまず自分を決めている。決めたことを覚悟する。覚悟したら死ぬまでかわらない。変えないと決める。がんばったら報われるなんて幻想にしがみつく必要もない。反応も、見返りも、報酬も求めない。覚悟したことを自分の大事なことにする。そしてそれを守って死ぬまでやめない。報われなくてもやめない。それが人生だ。めしも食わず、満ち足りて死ぬという選択肢だってあっていい。人生とは大小の覚悟の積み重ねだ。世の中にはじめから大事なものも、いつのまにか大事なこともない。それを大事にすると決めて大事にするから、それは大事なものになる。生きている理由なんてない。<br />決めたことを理由にするのだ。<br /><br />逃げることにエネルギーがいるのかどうか 私にはわからない。しかし 逃げること以外に自分の生命力の使い途がないのなら、だれかがそのことを否定しても、否定のしようがないんじゃないかとも思うようになった。きっと、この子を部屋から引き摺り出して、強制労働をさせる手立てがあるなら、そうすべきなんだろう。そうすべきなんだろうが、そうすべきなんだろうか。<br />この一連の話をすると多くのひとは、彼がもう成人していることを前提にする。成人なら自分で解決しなければならないという。その通りだ。しかもほんとうなら、成人していようがいるまいが、『女王の』阿久津先生の言うように自分の人生くらい自分で責任を持たなきゃだめだ。子供はたとえ未成年でも、自分の人生を自分で決める力があると『14才の』おかあさんも言った。その通りなのだ。その通りだから。<br />涙が止まらない。<br /><br />もし、強権的に働かせて、彼が従順にそれに従うなら、働けといった親のことばはそれほどまでに無力なのかと悲しい。それほどまでに伝える力がないのか、それほどまでに内容がないのか。子供はその皮膚の内側に、すべてを吸い込んで無力化してしまうほどの深い闇を抱えているようにも思えた。子は親の鏡だという。そうであるなら・・・なんだ、その通りじゃないかとも気づかされた。・・・親から逃げ、学校から逃げ、自分から逃げ、家族から逃げ、子供から逃げ、会社から逃げ・・・そうして生きてきたのはほかならぬこの父たる私だ。さていま、遠くからこちらを見ているこどもに、ふたたび背中を向けて逃げかけて少し、逃げることにためらっている自分がいる。<br />『14才の』おかあさんは、親は子供を信じるしかないと言った。そして子供を守りますと言い切った。人に迷惑がかかるならいっしょに頭をさげて回るとも言った。そんな腹を括った覚悟が自分にはないのだ。<br />そのとおりだ。自分を反映してこの子がある。<br /><br />おとなは今のこどもがわからないという。しかしこども自身が自分を分かっている訳じゃない。私が大人の歳になってみて、おとなの歳の自分を冷静に見詰めてみても、実はこれまた幼いころからの疑問をほとんど解決することもなく、今も何も分からないままでいることに気付く。分かったふりすら出来ないでいる愚かなおとなもこうして実在するのだ。<br /><br />さてでは、成人になった子の親にその成人に対する責任はないのかと問えば、親は子供が自分の子供であることを放棄しない限り、子供に対する責任はあるのだと思える。なによりそういう大人にしてしまった責任がある。それが理由で世間に迷惑をかけたのなら、頭をさげて回ろう。回ろうというのが決心だ。覚悟だ。<br /><br />「覚悟してる。死ぬまで別れない。」『14才の』娘はそう言った。そんな覚悟が理想だ。<br /><br /><br />この23歳になる息子が、産まれた頃のことを思い出していた。家内はなんだったか、その時産院で動けないまま入院していた。息子は羊水混濁で産まれて、たちまち県立病院に直送された。危ないと言われた。覚悟しておけとも言われた。何がなんだか分からない中で、とにかくついておらねばならないと思った。わたしは大学を出るにしても、まだ一年必要な、自堕落な学生だった。<br /> ]]>
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<title>『１４才の母』礼讃　予告</title>
<description> 『１４才の母』礼讃親は子供の社会的でない行動に如何に関わり、世間と対峙するのか。応接するのか。このドラマは幼い母のゆらめく心のストーリーではなく、その親のたちの覚悟のストーリーだ。
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<![CDATA[ 『１４才の母』礼讃<br />親は子供の社会的でない行動に如何に関わり、世間と対峙するのか。応接するのか。<br />このドラマは幼い母のゆらめく心のストーリーではなく、その親のたちの覚悟のストーリーだ。<br /> ]]>
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<title>向き合うかな、子供に。</title>
<description> チーズケーキおいしくいただきました。ほんとですよ、おいしくいただきました。母もいっしょに頂きました。私はこういうのに、くわしいわけじゃない、と言いながら、おいしいと申しておりました。ほんとにありがとうございます。母などは田舎の舌の持ち主で、何か作らせると万時甘いか辛いか誰にでも分かる物しか作りませんし、食べるとなれば、うまかろうがまずかろうが、多かろうが、多すぎようが決して残すことのないひとですか
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<![CDATA[ チーズケーキおいしくいただきました。ほんとですよ、<br /><br />おいしくいただきました。<br />母もいっしょに頂きました。<br />私はこういうのに、くわしいわけじゃない、と言いながら、<br />おいしいと申しておりました。<br />ほんとにありがとうございます。<br />母などは田舎の舌の持ち主で、何か作らせると万時<br />甘いか辛いか<br />誰にでも分かる物しか作りませんし、<br />食べるとなれば、うまかろうがまずかろうが、<br />多かろうが、多すぎようが<br />決して残すことのないひとですから、<br />ぼくと同じバカ舌だと信じて疑わなかったのですが、<br />ふいに思い返せば。<br />またあの店にいきたい。高いからいかない。<br />まあまあ、いける。きたない。きれい。などなど。<br />案外、好きな所は何度でもいくし、<br />いかないとなれば見向きもしない。<br />なにか気に食わないことがあればもう二度と行かない。<br />そういう誰しもが取る態度は、<br />人並み以上にはっきりしているのではないかと<br />・・・先日、気づきました。<br />で、彼女はおいしいともうしておりました。<br />よろこばしいことです。<br /><br />第二話<br />最近、空を見上げております。<br />空っていうのは、じつはキレイだったんだ。<br />そんなことを思っています。<br />夕焼けや星空をいっているのではありません。<br />抜けるような青空です。<br />このあいだ、神戸の大倉山公園の野球場のベンチで、<br />時間つぶしに、おおよそ一時間。<br />あきずにそらを眺めておりました。<br />ホームレスも悪かねえな、と感じた一瞬です。<br /><br />ブールースカイとブルーシート<br />なんか、通じるところがあるのかな。<br /><br />第三話<br />23の子供がニートです。<br />だったんだそうです。<br />これには大いに困りました。<br /><br />おもしろいもので、<br />ニートという言葉は以前から知っていて、<br />それがおよそどのような内容を指し示すのか、<br />試験問題ならすこし背伸びをして<br />60点くらいは取れるんじゃないかと思うのです。<br />ところがこの一年（一年は経ってはいませんが）<br />それがウチの、このこととは思いもせず、<br />浮世のしがらみのなかで、ただ<br />慌てふためいていたのでありました。<br /><br />先日、本屋に立ち寄って書架を端から舐めていて、<br />新書の中の「ニート」の単語に、<br />流れていた視線が釘付けになりました。<br /><br /><br />そうか。<br />あいつは。・・・ニートか！<br /><br />すこし情けなくなりました。<br />こどもが、ではりません。自分が、です。<br />親から逃げ、学校から逃げ、自分から逃げ、<br />家族から逃げ、子供から逃げ、会社から逃げ、<br />さて、いま遠くからこっちを見ているこどもに<br />（こどもって、もう大人ですが）<br />背中を向けて逃げかけて、<br />今ちょっと立ち止まったところです。<br />どうすっかな。<br />振り返るかな。<br /><br />20009.10.23<br />無為様<br />やましたたらう拝<br /> ]]>
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<title>081225　洪基への伝言</title>
<description> 2008.12．25制作以下はわたくし山下太郎が罹病等によって意識を失った後の私自身の処置についての希望である。2008年12月1日に以下の団体に登録した。①日本尊厳死協会ここでは、もし私が重篤な状態になったからといって人工呼吸器の装着などの延命医療行為をするなというリビング・ウィル（生前の意志）を保管してもらっている。ジタバタせずにいさぎよく死にたいという私の意思をあらわしたかった。しかしこのリビングウィルはま
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<![CDATA[ 2008.12．25制作<br /><br />以下はわたくし山下太郎が罹病等によって意識を失った後の<br />私自身の処置についての希望である。<br /><br />2008年12月1日に以下の団体に登録した。<br /><br />①日本尊厳死協会<br />ここでは、もし私が重篤な状態になったからといって人工呼吸器<br />の装着などの延命医療行為をするなというリビング・ウィル（生前の<br />意志）を保管してもらっている。ジタバタせずにいさぎよく死に<br />たいという私の意思をあらわしたかった。<br />しかしこのリビングウィルはまだまだ中途半端で、本意はもっと踏<br />み込んだ内容と表現のものが望ましかったが、今のところ、法的にも<br />社会的コンセンサス上もこのあたりが限界であるらしい。<br />そう考えれば、必ずしも日本尊厳死協会である必要はなかったが、<br />他にあまりこういう組織がない。<br />しかし少なくとも私の希望の方向性を保っていること、協会の創立<br />者が優生思想論者であることなど、賛同できるところが多いので、<br />会員となった。もし思潮に変革があって、協会において棚上げ状態<br />になっている、認知症等による意識不全においても尊厳死が適合さ<br />れるに至って、わたしがその時同意文書に署名捺印ができない状態に<br />なっていたならば、これに同意することをここに表意しておきたい。<br />リビングウィルは三通あって、一通は協会が保管。一通は私が<br />携帯。一通を洪基に預ける。もしもの時は、そのように頼む。<br /><br />②葬送の自由をすすめる会<br />私の死後の私の遺体の処理方法についての希望は、死後、<br />-1.一定の手続きののち焼却する。（葬送の会のリーフレット参照）<br />-2.焼却はできれば高温処理し、遺骨として残さず灰だけにする。<br />（Ａ灰も残らない高温焼却が技術的に可能になれば、以下の手続<br />きすら不要である。Ｂ規則的に灰までも至らず、骨の状態として残っ<br />てしまうようであれば、これを粉砕する。）<br />-3.遺灰は墓に入れず「葬送の自由をすすめる会」を通じて、<br />日本自然葬協会に連絡、打合せの上、散灰場所に散灰する。<br />基本的な事務手続きは完了している。<br />（法律により、勝手にどこにでも撒けない。）<br />その他思いつく範囲で、のちのち面倒くさいことがないように<br />諸般手続きは進めておく。<br /><br />以下、それに関連して。<br /><br />三反田山下のお寺と墓は、浄土宗　常春寺で尼崎市水堂町にある。<br />ここにはいま、山下猛雄たけお＝宝勝院教譽孟岳雄証居士（戒名）<br />私の父のみが入っている。<br />母、山下正子も将来ここに入れる。<br />場合によっては大阪の私の叔母、西岡郁子を入れる。<br />（ここは年間６０００円が維持費である。<br />もし、ここを継続使用するなら、将来的に手続きをする。<br />継続使用をしないなら）この墓地はこの三人で使用を終了する。<br /><br />私の死後は、使用終了の手続きをしてほしい。<br />方法はこのあと、簡単な手続きだけで済むようにしておく。<br /><br />現在は母が三反田山下の宗教行事をしている。<br />毎月の月命日の墓参、春秋の彼岸会の墓参、お盆の盂蘭盆会の墓参。<br />年一度の京都東山　知恩院へのお参り。（知恩院の納骨堂にも分骨<br />されている）・・・等である。<br /><br />母の死後、これらの行事は私が引き継ぐ。引き継ぎは私と母との間の<br />約束事である。<br />私の後のことについては母には一切語らないので、万が一そのような<br />話題がのぼる場面があっても、コメントをしないこと。母には懸念なく<br />あちらに旅立っていただく。<br /><br />私は自分の死の際までは仏教、神道、民間習俗を含めた宗教行事を<br />執行するので、私の死後、それらが中止されたあとの事務的実務的<br />処理（中止処理）だけを、くれぐれも頼みたい。<br />今後、その手続きが簡易になるようには心がける。<br /><br />この項以上、以下余白。<br /><br /> ]]>
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<dc:date>2009-03-18T14:16:59+09:00</dc:date>
<dc:creator>欠谷幸丸</dc:creator>
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<title>改訂　人生の目標</title>
<description> １.食の制圧とミトコンドリアの操縦　   第1段階＝週二ラマダン（木+日曜可食日）→第2段階＝週二ラマダン（木曜食+日一食）　 第3段階＝週一ラマダン（木曜食）→第4段階＝週一ラマダン（木一食）２.一万歩歩く。３.かんたん腕立て３０ｘ３＋かんたん腹筋５０ｘ３４. 自らを含めて環境を清めいつ（齋）く。５. 心経を書く。427作６. 作句、108句７. 自分の考えをまとめる。わたくし公理の記述８. 自ら、一方的によく人にかかわる。
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<![CDATA[ １.食の制圧とミトコンドリアの操縦　<br />   第1段階＝週二ラマダン（木+日曜可食日）→第2段階＝週二ラマダン（木曜食+日一食）<br />　 第3段階＝週一ラマダン（木曜食）→第4段階＝週一ラマダン（木一食）<br />２.一万歩歩く。<br />３.かんたん腕立て３０ｘ３＋かんたん腹筋５０ｘ３<br />４. 自らを含めて環境を清めいつ（齋）く。<br />５. 心経を書く。427作<br />６. 作句、108句<br />７. 自分の考えをまとめる。わたくし公理の記述<br />８. 自ら、一方的によく人にかかわる。感謝する<br />８補追. 印章をもって皆の運勢を保つ<br /><br />これが人生の目標。<br /> ]]>
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<dc:date>2009-03-18T14:13:18+09:00</dc:date>
<dc:creator>欠谷幸丸</dc:creator>
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<title>090220　ただの手紙</title>
<description> 4516番は万葉集の最終歌です。家持のこのうたにはしみじみと打たれるものがあります。新たしき年のはじめの初春の今日降る雪のいや重け　良ごと言の葉をあつめ重ねて、いのるこころが万葉集にあるならば、これは巻末にふさわしい祈りではないかと思います。あまりにも有名なので、おもしろくはありませんが。ＮＨＫではもう登場しましたか。おそらく出ようかとは思いますが。99チョコレートはありがたく、頂戴を致しました。以前か
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<![CDATA[ 4516番は万葉集の最終歌です。<br />家持のこのうたにはしみじみと打たれるものがあります。<br /><br />新たしき年のはじめの<br />初春の今日降る雪の<br />いや重け　良ごと<br /><br />言の葉をあつめ重ねて、いのるこころが万葉集にあるならば、<br />これは巻末にふさわしい祈りではないかと思います。<br />あまりにも有名なので、おもしろくはありませんが。<br /><br />ＮＨＫではもう登場しましたか。おそらく出ようかとは思いますが。<br /><br />99チョコレートはありがたく、頂戴を致しました。<br />以前からカカオポリフェノールブームも手伝ってか、％チョコレートは<br />数々あって頂いておりましたが。高純度チョコレートはぼく以外食べる者が<br />おりませんでした。これにはこれの味わいがあるなあとは、<br />正直ぼくも確信するのですが、しかし、たとえばこのメーカーでも、<br />もう少し砂糖のはいったものがあるやに書いておりました。<br />されば99％の見地から翻って、<br />やや糖度のあるものに降りて全体を俯瞰してみるのも、<br />砂糖たるものの存在を知る上で一興かとおもいます。<br />ぼくは、餡とチョコレートほど、砂糖とあう食品はないのじゃないかと<br />思って、この二つを礼賛いたしております。<br /><br />短絡的で恐縮ですが、砂糖と申せば対抗馬は塩です。<br />地球は水の惑星である・・・と括るのは誤りであるのだそうで、<br />それならむしろ、塩の惑星と呼ばれるべきなのだそうです。<br /><br />食品のうち、塩と砂糖は研究すべき大テーマです。<br />（なにがテーマなんか、自分でもまったく分かってはおらぬのですが・・・）<br />とにかく、実体験に基づけば、これはひたすら二大テーマです。<br />と、そんなことで。<br /><br />09/02/20無為様　やました拝<br /> ]]>
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<dc:date>2009-03-18T13:52:26+09:00</dc:date>
<dc:creator>欠谷幸丸</dc:creator>
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<title>090313　ただの手紙　・・・地生え、書</title>
<description> 先日はありがとうございました。戻ってみると手紙が一通。有馬の皇子をはじめ万葉人（そのあと中世まで）はめめしいですな。女性の女々しさには美しささえありますが、おとこのめめしさは、後世の日本男児のあるべきすがたに比すると、それを歌にするあたりが、同じ民族かと疑いたくなる感があります。しかしこういう、せめて歌の中だけは心情吐露が許されるという方法があれば相当に精神は健康が保たれる気がしますね。三輪田米山
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<![CDATA[ 先日はありがとうございました。<br />戻ってみると手紙が一通。<br />有馬の皇子をはじめ万葉人（そのあと中世まで）はめめしいですな。<br />女性の女々しさには美しささえありますが、<br />おとこのめめしさは、後世の日本男児のあるべきすがたに比すると、<br />それを歌にするあたりが、同じ民族かと疑いたくなる感があります。<br />しかしこういう、せめて歌の中だけは心情吐露が許されるという方法があれば<br />相当に精神は健康が保たれる気がしますね。<br /><br /><br />三輪田米山、ウエブで確認しました。既知でありました。やはりぼくが、松山と松本を勘違いいたしておりました・・・<br />ぼくが彼に異様な興味を抱くのは、彼が風土に根ざした地生え（じばえ）であることと、<br />その存在を風土が受け入れ、血肉としてしまったところの妙味を感じるからです。<br />ぼくが、飲食をやるならその場を中核としてコミュニティーを作りたかったからだといったのは、こういったニュアンスも含みます。風土・・・という言葉は早晩、死語化するかもしれませんので、地域とか地域特性、地域性、地域のアイデンティティーなんて表現でなければ通じないかもしれません。日本の風土を理解するのは、以前申し上げておりましたフランス人のオギュスタンベルクやアメリカ人のアレックス・カーですかな。ひとの存在が「場」から切り離してはありえないことを今の日本人は理解しようとしません。理解能力があるのにしないのは、それが金にならないからです。では、理解させるにはどうするのかといえば、金になるようにすればよいという単純な転換で多くのものどもが方向修正されるのではないかと想う・・・昨今です。<br />風土とは単純素朴に発生するものではなく、理念の収斂進化です。その地域においてはそういう発達でなければならなかった何らかの帰結です。そこに独自性があり、また普遍性を含むのです。さてそれをどうお金にしましょうか。平山君の出番を待ちましょうか。<br /><br />先日、創造の話をされました。世に言うアーティスト・・・にあたるのかも知れませんが、これに触れて・・・。<br />司馬遼太郎は、利休はモノを作らずして価値を創造したヒトだと評しました。美は創るものではなく発見されるものだといいます。そのとおりです。利休も民藝もそれから袂を別ったた青山二郎も（かれはモノを作りましたが）その弟子の、無為さんが嫌いな白州正子も師と仰がれる坂田さんもきっと価値の発見者です。60年と5秒の言は深遠ながら僭越であって、それは所詮製作者の独りよがりにすぎません。たとえば利休は（詳しく知りませんが）製作しなかったからこその品格を保ち得たとも言えます。その発見者としての自負が「無為」にあれば、それで万事こと足ります。平山君が無為さんの指摘を「的を得ている｣と評しました。ここにすべての結論があります。平山君の感性は、特異特殊ではありません。奇をてらうこともありません。方向はマジョリティーに対峙しています。ただ、差別化という経営用語を情報処理の過程と自分の立ち位置にしっかりと据えているから、あたかもそれが彼の独自性に映るだけなのだと思います。計算されたニッチです。だから、彼の感覚は信用に足ると思うのです。無為さんやぼくはそういう意味では落第です、成功はしません。<br />ぼくは汗水に価値を求めません。けれど選択した目標の中に、もし汗水が不可欠なら、ぼくはそれをいといません。さらに、目標には到達への計画というものが不可欠です。無闇矢鱈にかかんに挑戦すればそれでよいというものでもありません。残された時間と自分の能力を測りながら、それで挑戦するというものでなければ、実際はおもしろくないものです。平山君をものさしにいたしましょう。<br /><br />話が飛びました。<br />三輪田米山の書はそれぞれの点画が、どの点画にも遠慮していないのがぼくにとっての魅力です。そういう意味では、この方はスメ(素面＝関西ではシラフとはいいません。でした。)では相当な気ィ使いで、調整型の典型のヒトやったのかしら、などと想像がふくらみます。<br />字の形態ではなく、字の赴き（趣きではなく）が好きです。<br /><br />完白という書家があります。完白のことばとして筒井茂徳が訳するところによれば、「書<br />はいたずらに感情の流露を見せるものではなく、従って形をゆがめたりして気ままに書くものではない。むしろ逆に、筆の行くべきところをあらかじめよく想定し、黒白の配分を厳密に計算して書くもので、そうしてこそ奇趣というものが、もしあるとすれば表れ出ずるのである。」こうあるそうです。訳者は、完白の書をして「身じろぎもせず堂々と正面を切って構えた、まことに偉大な野暮の極地。」と評します。ふと、米山に通じるところがあるように感じました。<br /><br />ひとまず千葉帰着の報。<br />2009/03/13<br />やましたたらう<br /> ]]>
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<dc:date>2009-03-18T13:47:14+09:00</dc:date>
<dc:creator>欠谷幸丸</dc:creator>
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<title>090303　ただの手紙　独居選択</title>
<description> ひととのかかわりに触れて。前にも言ったかも知れませんが岐阜にいるとき、ああそうか、今の日本はひとりっきりでも何不自由なく、・・・精神の空白をも埋めてくれるという意味も含めて・・・たったひとりででも生きていける社会なんだと実感しました。世に言う、独居老人の問題は、（それが問題であるとするなら）社会構造がそれを認め、可能にさせたうえで、さらにビジネスという御旗を振りかざして助長させているところに問題が
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<![CDATA[ ひととのかかわりに触れて。<br /><br />前にも言ったかも知れませんが岐阜にいるとき、ああそうか、今の日本はひとりっきりでも何不自由なく、・・・精神の空白をも埋めてくれるという意味も含めて・・・たったひとりででも生きていける社会なんだと実感しました。世に言う、独居老人の問題は、（それが問題であるとするなら）社会構造がそれを認め、可能にさせたうえで、さらにビジネスという御旗を振りかざして助長させているところに問題があります。実際は、ひとりというのは楽なものです。つまりは無秩序な選択肢の増加と個々人の選択の結果のあらわれの問題に過ぎません。かつての粋人が、人里離れてぽつねんと生きることを、ひとつの理想の境地として求められた時代はしかし、彼等がほんとうにひとりで生きることを可能にはしませんでした。生きることには労役と雑務と捕食が付き纏います。これにはこれの能力と時間が必要で、彼らはそれら生ぐさい煩雑な日常を、他人任せに丸投げます。昨今も生きるに事情が変わる筈は決してなく、様々な拘わりが巧みに隠蔽されて、あるいは代価交換され、拘わりが権利などと呼称されてごまかされたり あるいはもっとビジネスライクに利用されて、いかにも当たり前に映るあるがごとしの構造に否応なく組み込まれているわけで ただそれに気付かないか 気付かないことにしているかという欺瞞のうちにあるかという実態です。 <br />ぼくはそんな世の中にあって、ひとと関わりあえることをひとつの歓びと認めた・・・これも選択の一です。（もちろんこちらの能力に限界があるので好悪に従って、これでも人数は最小限を心に留めて選ばさせて頂いておりますが。)<br />繰り返しになりますが社会の中でひとりでいることはいま、可能です。しかしそれは社会が「見た目」ひとりで生きてゆくというスタイルを巧みに現出させ、合法的生活方法のバージョンのひとつとして認可しているからこそ可能であるに過ぎません。この社会の許しのなかでしかひとは生かされない、生きてゆけないのが大前提です。非合法団体もホームレスもヤンキーも右翼もヤクザもこの社会の許容範囲と理由に基づいて生きています。この話には、だからどうだという結論も指針もありません。<br /><br />さて、ぼくは神に祈りますが神頼みをしません。ひとへのかかわりもしかりで、ひとつながりは常に一方通行で構いません。見返りはいけません。これらの関わりがぼくにひとつの利得ももたらさないで本来と考えています。…とは いいながら…残念ながら世話になりっぱなしの方々ですが。<br /><br />いつか、お預けしている商品のことをおっしゃってでしたが、構いませんよ。在庫として公式に表に出さない、出せないものばかりですから、おいておいてください。万が一に売れれば教えてください。<br /><br /><br /><br />京都に韓国式の中国茶店（訳分かりませんが）を帯屋の譽田屋が出していて、「素夢子（そむし） 古茶屋」というのですが、これはもちろん無為さんの好みと理念からは程遠いものとはいえ、無為さんところ同様・・・この浮世離れした趣味の店は、物の売り買いでなく時間と空間の提供をしているのです。これにはなんだかひとはお金を出します。茶店は賛成です。さいごの無為の砦になる可能性があります。物を売るより、より意思が伝わります。<br />ぼくは学生の頃はアルバイトばかりしておりましたがそれは、食堂、客船、スパゲティー屋と、職種は（そうでない職種はまたお話しする機会もありましょうが、）ほとんどが厨房でした。すこし真面目に飲食をやりたいと思ってもいたのですが、そのラフな設計図は飲食を通じたコミュニティー作り、みたいなものでありました。ようするにひとを巻き込む場を作りたかったのでしょう。就職のときに①自力で飲食②字書きの先生の紹介で今の会社。③そのとき勤めていた塚口小学校の教頭が紹介してくれた福祉施設。・・・・と選択肢がある中、なぜか②を引いてしまいました。良いも悪いもなく、だから今、この手紙を書いています。<br /><br />最近、自由土地（土地の公有制）とベイシックインカム（基本所得の無条件給付）が目下最大のマイ・テーゼとなっています。<br />だからどうという結論はこの話にはありません。<br />自由土地と自由貨幣という考えは、かつてシルビオ・ゲゼルというドイツ人が提唱しました。<br />彼の著作に大巻があって、これをあるひとが翻訳しました。本は驚くほど高額ですが、親切極まりない翻訳者は、この全文をインターネットに載せました。<br />世のインターネットにはすさまじき情報量が飛び交っています。ウィキペディアというウェブ百科事典はおそらくブリタニカの数セット分のタイトルがあって、日々増殖しつづけ、日々更新されます。書き込み編集がまったく誰にでもフリーなこのサイトにおいては内容に誹謗中傷や誤謬があれば10数分のうちに削除か訂正がなされるそうです。これは誰が統制しているのでもなく、誰でも自由に編集をさせるというだけの方法をもって、そういう客観中立公正が保たれている・・・のでしょうか。（実に不思議でありながら示唆に富んでいます。）<br />エジプトから今日まで何千年、人類は書き留めたものでもって文化を継承してきました。これは保管さえされれば何千年に亙って情報が継承されることを実証しています。しかしインターネットやいまのパソコンにはたして情報の保管能力がどれくらいあるのかということになれば、これははなはだ疑問です。ある瞬間、なんかの間違いだかハズミで、パッと内容が消える・・・なんて恐れは、常々感じることですが、可能性とすれば大いにあります。そんな不安定なものに乗っかった文化や情報は果たして将来に継承されるのだろうか、と思うのです。もちろん継承されねばならない必要があるかどうかは別の問題としてありますが。<br />本は好きでした。いまは、「所有」そのものに対する自戒が働いて、本も持たない残さないという気分ですが、若い頃はぼくも本を溜め込むことに喜びを感じていたひとりです。ところがインターネットに慣れ親しんだ若年層はそんな感情を持たないのかもしれません。形あるものへの執着が希薄であるやも知れません。あるのは時間と空間と心地よさです。あらゆるものがバーチャルです。バーチャルと空は通底するなんかがあるのでしょうか。<br /><br />2009/3/3<br />無為様　　やました<br /> ]]>
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<dc:date>2009-03-18T13:44:39+09:00</dc:date>
<dc:creator>欠谷幸丸</dc:creator>
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<title>090210　ただの手紙</title>
<description> 中学の教科書に湯川秀樹の知魚楽がありました。これが荘子でしたね。禅の公案もそうですが、ロジック、理屈、屁理屈、ディベート、まことに苦手な分野です。大学にはいって読み耽っていたのはカリフォルニアムーブメントと呼ばれた、自然科学の系統です。タオ自然学というタイトルの本があったように、物理学を主にした自然科学と東洋思想との合体ものでありました。いま読み返しても断然おもろいのですな。老荘とタオはイコールで
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<![CDATA[ 中学の教科書に湯川秀樹の知魚楽がありました。<br />これが荘子でしたね。<br />禅の公案もそうですが、ロジック、理屈、屁理屈、ディベート、まことに苦手な分野です。<br /><br />大学にはいって読み耽っていたのはカリフォルニアムーブメントと呼ばれた、自然科学の系統です。<br />タオ自然学というタイトルの本があったように、物理学を主にした自然科学と東洋思想との合体ものでありました。<br />いま読み返しても断然おもろいのですな。<br />老荘とタオはイコールではないのでしょうが、そこを詰めることはこの分野では無意味です。<br />さてこないだからの万葉集と荘子の件。<br />本の内容について何がいいかのお勧めはぼくには不可能です。残念ながら知見がありません。<br /><br />ぼくは、どんどん本を始末する人です。<br />そうはいいながら、棄てては買うを繰り返すものもあり、最終的に手許に残ることになった本はわずかながらに<br />あります。『萬葉集』もそのひとつです。しかし、手許の本はあまりにメモ書きが多いので、新しいのを探します。<br /><br />この通信は時系列で書き進めております。<br />即ち内容の重要性は前後します。<br /><br />コーヒー戴きました。ありがとうございました。<br /><br />まことにありがたくありがたく、感涙たえません。うまかったですよ、ほんとに。<br />ぼくがコーヒーを（自分で買ってきて家で）いただくときは、<br />「グアテマラの中深炒りで、店で挽いてもらったのを買ってきて、コーヒーメーカーで淹れる。」<br />ことにしています。<br />理由ははっきりしていて、あれこれ試しても、違いの分からない男なので、<br />だれもがそうやって飲める技術無用のやりかたで、なおおいしく頂けるものを合格にする、<br />と思いついたに過ぎません。コーヒーは粗雑な労働者の飲料と信じているので、<br />いっぷくしてくつろぐ折のアイテムというよりは、作業の合間に、「ながら」に飲むのが正解に思っています。<br />が。<br />こたびのそれは、上品な茶筒ならぬ珈琲筒で、文字もよろしく、<br />さらには味も香りもまったく好みでありました。<br /><br />今年、ひょんなことから年賀状を出すことになって、しかし本当はアレではなくて、<br />ひそかに出そうかな、と思いつつ、試作していたものが・・・実はありました。<br />その後、その試作品は2010年に回すことにしたので、それをお目にかけると、<br />無為さんだけは、2010年バージョンを別に作らねばならないという、奇妙なことになってしまいます。<br />まあいいか。<br />そこに「いつく」のことばが顕れます。ぼくの生活のなかで、これらは中心課題です。<br />お店は宮島ですか。伊都岐とは良い名です。また良い画でした。<br />ありがとうございます。<br /><br /><br /><br />2009/2/3　節分　無為様、やました拝<br />ご無礼いたしました。モノを見ておりませなんだので、<br />その本にも書き込みがありましたか。<br />ちなみに、この本の後編には『訳文篇』といものもあるわけです。しかし、漢字かな混じりの文や、内容の解説等々はどれを見てもさして変わりません。岩波文庫なら上下巻であったようにも思います。そんなのを参考にしながら、味わうてみてくださりませ。たったそれだけのための一冊です。これだけでは呪文のようなので（きっとことばにそのような機能もあった時代のものなのでしょうが）今人のわれわれには引っ掛かりが稀薄です。ぜひ分かり易そうなのを活用してください。<br /><br /><br />コーヒーは、ぼくもそんな程度です。ただ、うまい・・・とおもうコーヒーを出す店が口をそろえて、コーヒーは淹れかたではなく炒り方や・・・というもんで、ぼく自身は濃い目が好みというのもありまして、だいぶく深めに炒ってくれたコーヒーに偏執しておるに過ぎません。ただ、炒りは深くても、底の裏の裏の斜め右みたいな面倒な深い味わいは求めていなくて、さばさばとがぶがぶ飲んで、それで終わりみたいな気分なのでありまして、味わうのは飲んだ瞬間５秒程度にして、さっさと次の行動に移れる・・・ものであってよいと（勝手に）決め込んでおります。そこが、労働者の飲み物と申す所以です。<br /><br />ハワイコナは、飲んだですなあ。あっさりしていました。実は最近はそうでもないのですが、かつて日日大酒をあおっておりました頃は、とにかくヘビーなコーヒーでないと、頭も体も目覚めないという半病人でありましたので、そういう事情も濃いものを好んだ理由でありましょう。ＢＩＯはよく看板を目にしますが、ぼくは敷居をまたいだことがありません。東京のウチのＯＧのひとりが自然食レストランに勤めておりまして、そんな看板に人がなびくのだろうかと、経営を心配しておりましたが、案外入りはよろしいようで、東京というところは頭数の多い分、なんでも成立するのです。いわゆるニッチな需要が成り立つのですな。<br /><br /><br />で、「齋く」でごわりますなあ、いつく・・・耳さわりのよいことばですなあ。やはり居（い）とか憑く（つく）とか、そんな響きも含んでいるのかしら・・・などと空想がはたらきます。斎宮という名の方が居られましたか。いかにも神に仕えようかというお名前ですなあ。ぼくの知り合いに吉彦譽子というのがありまして、よしひこ-たかこ、と読みました。家は神道でした。ところがあろうことかぼくの友人と結婚して姓が木原と変わりました。なんかもったいないですな。この家は妹も出て、あとが有りません。親戚等はあるのでしょうが、尼崎在の名の系統は絶えます。<br />さて、宛名の件。ぼくは人との関係を相当削ぎました。残ったのはわずかな身内が１０、いまだに帰るたび飲みに行く同級生（幼稚園と小学校の同級生ばかりで、中学高校大学の同級生はひとりもいません。）が７、もう退社した元同僚が３、その他が７、合計２７枚です。みな、（無為さんを除けば）特徴もないふつうのひとばかりです。共通するのは、師匠三人を除けば、だれとも利得がありません。釣針をつけずにひねもす糸を垂れている、釣人と魚のかかわりを、ふと思い浮かべます。<br /><br /><br />３月９日が観音の最終撤去日のようです。７日あたりに入る予定ですので、最悪ピザだけは（もしくはお好み焼きでも）ご一緒いたしましょう。まあ、なんでもよいのですが、うどんやに行けたらな。いけんかなあ。<br /><br /><br />2009/2/10<br />無為様　やました拝<br /> ]]>
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<dc:creator>欠谷幸丸</dc:creator>
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<title>090119　ＮＨＫ曰く。Y染色体は、本来崩壊してゆく。</title>
<description> Y染色体は、本来崩壊してゆく。女子には遺伝せず男子一統である。∴組み替えが起らない。変異体はそのまま遺伝する。乱婚の精子は活発である。勝たねばならぬ。他を制圧せなばならぬ。一夫一妻は活動虚弱でも生存する。∴選択圧がかからない。劣勢が生存する保存欲求が強くないのではないかそれによって、他愛や自己否定の協調性が発動していないか。デンマーク最悪男子の精子濃度=不妊の境界値以下が40％を占める。つまり、不妊治療
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<![CDATA[ Y染色体は、本来崩壊してゆく。<br />女子には遺伝せず男子一統である。<br />∴組み替えが起らない。変異体はそのまま遺伝する。<br />乱婚の精子は活発である。<br />勝たねばならぬ。他を制圧せなばならぬ。<br />一夫一妻は活動虚弱でも生存する。<br />∴選択圧がかからない。<br />劣勢が生存する<br />保存欲求が強くないのではないか<br /><br />それによって、他愛や自己否定の協調性が発動していないか。<br />デンマーク最悪<br />男子の精子濃度=不妊の境界値以下が40％を占める。<br />つまり、不妊治療→顕微受精でなければ、自然妊娠はしなくなる。<br /> ]]>
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<dc:creator>欠谷幸丸</dc:creator>
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<title>090118　うるもち</title>
<description> うる餅「うるもち」いうのは、搗く(つ　)ところと搗かんところがあって、知っている人は知ってるし知らん人はその存在すら知らん。そんなことは何に限らず当たり前の話で、ただそれだけのことなんやが、ぼくにとってのうるもちは独特の郷愁が手伝うので、餅そのもの以上の味つけがある。常にある。およそ「うるもち」は「のしもち」で、ベタに伸した大きいのを切り分けて使う。これのまる餅はみたことがない。だいたい寒餅のときに
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<![CDATA[ うる餅<br /><br /><br />「うるもち」いうのは、搗く(つ　)ところと搗かんところがあって、知っている人は知ってるし知らん人はその存在すら知らん。そんなことは何に限らず当たり前の話で、ただそれだけのことなんやが、ぼくにとってのうるもちは独特の郷愁が手伝うので、餅そのもの以上の味つけがある。常にある。<br /><br />およそ「うるもち」は「のしもち」で、ベタに伸した大きいのを切り分けて使う。これのまる餅はみたことがない。だいたい寒餅のときに搗く。皆が若かったころは、おかあちゃんとこでは臼でほんまに搗いておった。「うるもち」はもち米にうるち米を足して搗く。このあいだ、母が立花の大原屋にきいてくれたところでは、もち米とうるち米(＝朝夕に炊く普通のお米ですな)の比率は７：３が一般的らしい。ひろく伸したままが扱い難いなら棒状にでも伸してもあげる、なんなら切ってもあげる。そんなことやったらしい。早い話がおはぎの中身が乾いて堅くなったものといった体裁だろうか。当然うるち米はもち米のようにうまく潰れないので、均一なもちの「もち肌」の中にうるち米の粒のあばたが散る。それによるトータルな口あたりのサクさと、うるち米の米粒の歯触り、これがええあんばいなんや。先に触れたようにこの「うるもち」に、ぼくの場合は子供のころの郷愁のサムネイルが重なる。門口から続いてなだらかにうねるガーデンパス、桃の木、地に刺す様に伏せられて並ぶタマゴのカラ、縁側、幅広の床机、玄関のたたき、カマチ、しき台、板の間、牛小屋、五右衛門風呂、使わなくなったへっついさん、火鉢、おとうちゃんが焼いてくれるうるもち。香ばしく焦げをつけて、サクッとつぶしてどんぶり鉢に並べて、パラパラパラと塩を振って、ちゅんちゅんと白湯を注ぐ。おこげの香りと塩の香りとうるもちの香りが湯気にからんで鼻先にゆらりゆらりと立ち上る。それがうるもちや。どない・・・この感傷が伝わるかなあ。<br />090118<br /><br />韶光<br /> ]]>
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<dc:date>2009-03-18T13:29:18+09:00</dc:date>
<dc:creator>欠谷幸丸</dc:creator>
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<title>081008物質的現象と精神作用には実体がない。これが般若心経のただひとつのテーゼです。</title>
<description> 物質的現象と精神作用には実体がない。これが般若心経のただひとつのテーゼです。①モノも感覚も思考も感情も理性もこの世には実存しない。②愚かしさを招く無知も（知も）老死も、そもそもがどれもないものであって、ないものが改めてなくなることはない。（ないのだから、なくそうとすることもない。ないことを知ることが永遠の智恵であり、ないことを知ることすらない。）心経のあらゆる解説書は、分厚いブーツの上から痒いところ
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<![CDATA[ 物質的現象と精神作用には実体がない。これが般若心経のただひとつのテーゼです。<br />①モノも感覚も思考も感情も理性もこの世には実存しない。<br />②愚かしさを招く無知も（知も）老死も、そもそもがどれもないものであって、ないものが改めてなくなることはない。（ないのだから、なくそうとすることもない。ないことを知ることが永遠の智恵であり、ないことを知ることすらない。）<br /><br />心経のあらゆる解説書は、分厚いブーツの上から痒いところをかりかり掻いているようなもどかしさを感じます。理由は、心経に「そのココロは・・・」という答えを強要している点にあります。しかし、ぼくはあらわされたことばがそのまま心経の結論であると思っています。「だから・・・」などとそのあとにくどくどしく続く真意などは本来ありません。そもそもこれだけ言を重ねて無い無い何も無いと教えてくれているのに、その言葉の裏に隠されたものをむりくり創出させることはまったく不敬です。心経は恐るべき事実の提示に過ぎません。だれもうすうすそのことに気づいているくせに、あえて既存の言葉と論理と道徳に心経をはめ込もうとしているところに、ぼくは居心地の悪さを感じます。大乗の中では三界における我々の世界の成り立ち＝欲界＝性欲+食欲の単純な指摘とまんまの心経の看破が、世界はもっと簡単で分かり易いはずだと信じるぼくにとっては溜飲の下がるここちがするのです。話はまた飛びますが、オプティーの「あなたはあなたが選んだものでできている。」も実存の否定を表現しています。作り手がどう思ってこのコマーシャルを作ったのかはこの際どうでもいいのですが、このフレーズがブラウン管（液晶画面か？）から流れたことに衝撃を受けました。持った新聞パサリと落とし小膝たたいて唸り声・・・上岡竜太郎がこんなことをパペポで言うてたな。まさにそんな感じやな。<br />高校か大学に入ってからか忘れたのですけど、Ｃ＋Ｆコミュニケーションズ『パラダイムブック』。ゲイリーズーカフ『踊る物理学者たち』この二冊がぼくの思考回路を大転換させました。いまでもそう思っています。二年ほど前に集英社新書から橋元淳一郎『時間はどこで生まれるのか』いうのがでて、これは驚くほど分かり易くてよかったですな。081008<br /> ]]>
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<dc:date>2009-03-18T13:25:32+09:00</dc:date>
<dc:creator>欠谷幸丸</dc:creator>
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<title>080817備忘　　三界、オプティー</title>
<description> 日本人にとっての美観とはおくゆさしさと諦観ではないのかと思う。そのもの直截にではなく、表に現れるもののその奥にある何者かとの共感と結びつきに感じ入るのだ。電車の座席は端から埋まる。端と端なら中にすわる。間隔を測り位置を保ち不可侵の安心を得る。込み合いはねずみでさえ生殖異常を来す。子を食い、同性愛に没入する。女三界に家無しと言う。マア、よくぞ言うたものやが、三界とはアレコレ聞く複雑な仏教世界の解説の
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<![CDATA[ 日本人にとっての美観とはおくゆさしさと諦観ではないのかと思う。そのもの直截にではなく、表に現れるもののその奥にある何者かとの共感と結びつきに感じ入るのだ。<br /><br />電車の座席は端から埋まる。端と端なら中にすわる。間隔を測り位置を保ち不可侵の安心を得る。込み合いはねずみでさえ生殖異常を来す。子を食い、同性愛に没入する。<br /><br />女三界に家無しと言う。マア、よくぞ言うたものやが、三界とはアレコレ聞く複雑な仏教世界の解説のなかにあっては、じつに端的でわかりよい。三界とは欲界、色界、無色界、と世界はこの三つに分類される。無色界は物質界（精神界）からの解放であり、色界はそれへの執着の状態である。これの下位である欲界は複雑かと思いきや、まみれたる欲とは二分類されて淫欲と食欲に尽きる。食欲とは個体の保存欲であり淫欲は種の保存欲である。個体の保存欲はミトコンドリアの要求であり、これは母のゲノムのみを遺伝する。そもそも、雌雄に分かたれてこそ淫欲が発生するが、雌雄にわかれたからこそ死は生じた。性差がなければ死がない。まるごとのコピーがポコポコ生まれるからだ。補食の排除は体への負担を軽減する。負担が減るので睡眠をとらなくてよい。たとえば読経は、必然息を長く吐く。呼吸法としては安定と回復の法である。日産オプティのプロモーションキャッチフレーズはオプティー公理と呼びたい。あなたはあなたが選んだものでできている。深遠にして単純や。ひとの生まれてより、死ぬまでの景観。<br /><br /> ]]>
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<dc:date>2009-03-18T13:24:02+09:00</dc:date>
<dc:creator>欠谷幸丸</dc:creator>
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<title>080817かたじけなきに、なみだこぼれる</title>
<description> 世には多くの宗教宗派があって彼ら創唱者と信仰者らがみな真摯誠実であるとするならばそのどれもは否定されずあるいは全ては寛容されねばならない。かたじけなき気配は実は風土に相対して、変幻自在に現れ方を変えていると捉えるべきだ。ひとびとがそのように望めばその様に形を変えてその風土に、あらねばならぬものとして像を結びゆるぎなきものとして馴染む。三角錐しかりモノたるや見位置によって見える形がかわる。そのかたじ
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<![CDATA[ 世には多くの宗教宗派があって彼ら創唱者と信仰者らがみな真摯誠実であるとするならばそのどれもは否定されずあるいは全ては寛容されねばならない。かたじけなき気配は実は風土に相対して、変幻自在に現れ方を変えていると捉えるべきだ。ひとびとがそのように望めばその様に形を変えてその風土に、あらねばならぬものとして像を結びゆるぎなきものとして馴染む。三角錐しかりモノたるや見位置によって見える形がかわる。そのかたじけなき気配などは像をむすぶ前の気配そのままを直感しなければならない。祀られているその面ではなく、向こう側とコミュニケートするのだ。窓の向こうは暗いものだからそこには自分の姿とこちらの世界しか映らない。しかしあちらに燈をともせば窓の向こうに向こうの世界のあることが知れる。<br />ユダヤもキリスト人もムスリムも仏教者もチベットも神道も道教も・・・みんな気持ちはひとつであろうに。080817<br /> ]]>
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<dc:date>2009-03-18T13:18:39+09:00</dc:date>
<dc:creator>欠谷幸丸</dc:creator>
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<title>2009元旦、年頭の頭の中</title>
<description> 2009元旦、年頭の頭の中				１実相				1001	世界を支配するものは散逸傾向である。			1002	散逸傾向はビッグバンがもたらした。			1003	散逸傾向とは変化である。			1004	変化の軌跡のひとつの顕れを我々は時間と呼ぶ。			1005	生老病死とは変化である。			一方ではミトコンの操作である。1006	諸行無常、盛者必滅、エントロピー（熱伝導の第三法則）みな変化である。			1007	変化の到着点は消滅である。散逸傾向である。			1008	
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<![CDATA[ 2009元旦、年頭の頭の中				<br />１実相				<br />1001	世界を支配するものは散逸傾向である。			<br />1002	散逸傾向はビッグバンがもたらした。			<br />1003	散逸傾向とは変化である。			<br />1004	変化の軌跡のひとつの顕れを我々は時間と呼ぶ。			<br />1005	生老病死とは変化である。			一方ではミトコンの操作である。<br />1006	諸行無常、盛者必滅、エントロピー（熱伝導の第三法則）みな変化である。			<br />1007	変化の到着点は消滅である。散逸傾向である。			<br />1008	あらゆる存在は儚く存在理由などない。			<br />1009	故に在ることは尊く、無くなることは計画である。散逸傾向である。			<br />1010	散逸傾向への抵抗が意志である。			<br />1011	意志は意識から生じる。			<br />1012	意識は分離隔離によって生じる。			<br />1013	ex 膜による分離≒細胞化			<br />1014	分離隔離によって領域が生じる。			<br />1015	領域の意識が覚醒すると自己保存を意志する。<br />1016	意志のみが散逸傾向に抵抗する。<br />1017	散逸傾向は在るべき（どうあがいても存在する？？）方向性である。＝赴き。<br />1018	これを知ることが悟りである。<br />1019	そのようにして蓄積された変化の過程が我々の見る世界である。<br />1020	変化の過程の相互作用が世界である。<br />1021	世界には必然性はない。<br /><br />1022	今見える環境の好悪は環境の成立とは何の関係もない。しかし収斂する<br />1023	それどころか、まったくおぞましき世界にわたしが立っていたかもしれぬ。しかし収斂する<br />1024	わたしは今以上に好もしい環境にいるわけではなく、今以上に悪い環境にいるわけでもない。しかし収斂する<br />1025	今この在り様でなければ有り得ない時空にわたしは立脚している。しかし収斂する。<br />	あらゆるものは、あって構わない無くてしかるべきものである。だからこそあることは稀有である。だが尊いわけではない。<br />1026	一方わたしは唐突にあるのではなく、さて真核細胞ミトコン入りから数えても<br />1027	何十億年前から恐竜を経て今に至る生命のゲノム、生命の記憶を、それがわたしである必要もないのに事実、引き継いでいる。<br />1028	引き継いでいるという稀有なものとしての発見への驚きがある。<br />1029	しかし、驚きはただの感情である。感情が常に真実ではないことは忘れてはならない。<br />1030	感情とは自己保存である。	自己保存は、散逸傾向を(時間を）生じたときに始まる。<br />1031	自己保存は細胞膜、元をただせば油膜で環境を隔て、あちらとこちらを生んだときに始まる。<br />1032	自己保存はひとつ上のヒエラルキー上位の自己保存に掣肘される。最終的上位は<br />	（ここで仮に）最終的上位は宇宙であるとする。<br />1033	宇宙の意志はしかし、散逸傾向である。<br />1034	最上位の領域の意志たる散逸傾向に下位のすべてが掣肘されるという結論を得る。<br /><br /><br />1035	原核細胞→真核細胞→ミトコンの侵入→真核一倍体細胞(100ﾊﾟｰ複製）から二倍体→複製限度→性の発現→死の発現<br /><br />1036	雌雄の分離によっては死が現れた。<br />1037	死が現れて、生死が現れた。<br /><br /><br /><br />２神＝別次元のもの								<br />1037	死が現れて、生死が現れた。							<br />2001	生死と社会秩序（規範、制約、拘束、束縛）の安定化のために宗教が生まれる。							<br />2002	世界には多くの宗教宗派が存在する。							<br />2003	宗教の創唱者と信仰者は真摯誠実であると仮定する。							<br />2004	それら、かたじけなき気配（神？）は風土に相対して、変幻自在な現れ方をする。							<br />2005	その風土と時代に必要とされる形を採って、かたじけなき気配（神）はそのように現れている。							<br />2006	根本は気配とそれへの祈りである。							<br />2007	窓の向こうが暗いとそこには自分の姿とこちらの世界しか写らない。							<br />2008	しかし、あちらに電燈を点せば、窓の向こうに向こうの世界があることが見られる。							<br />2009	その窓の向こう側とコミュニケートするのだ。							<br />								<br />1038	下位から上位にいたる領域のヒエラルキーの中で、上位にいたる方法は下位の確立と上位の情報（教育）の浸透である。							<br />1039	この世界もあらゆる世界も常に変化の中にある。							<br />1040	変化は今ある状態を固定しない。自己保存は全うできるものではなく、散逸傾向を緩和するだけだ。							<br />1041	固定も安定もしないのだから、世界に実体はない。							<br />1042	分離隔離から生ずる対象。対象との反応、情報、選択、行為（意志）、行動と情報の蓄積軌跡。あちらこちらの							<br />	それらの現象との相互作用。これが世界だ。							<br />								<br />								<br />								<br />								<br />３世界への働きかけ								<br />1038	下位から上位にいたる領域のヒエラルキーの中で、上位にいたる方法は下位の確立と上位の情報（教育）の浸透である。							<br />1043	そうする必要があるなら。							<br />	↓							<br />1044	収斂進化は信じるに足りる							<br />	楽観的理想主義的に眺めれば、各々の時代を経てあらゆる分野で、人類環境はゆらぎの幅の中で選択圧を受けながら収斂進化している。							<br /><br />1045	世界は一定に崩壊する。（散逸傾向にもとづいて）							<br />1046	その崩壊の速度を緩めるのは人類の知恵、感情、上位領域の自己保存である。							<br />1047	それは求められてきた人類の幸福と呼んでいい。							<br />1048	覚醒した領域が上位に上るにつれて、見かけの自己保存は掣肘されるが、ホモサピエンスサピエンスとしての保存傾向は高まる。							<br />1049	この方向性を早めるために、修正操作することは可能である。							<br /><br /><br /><br />1038	下位から上位にいたる領域のヒエラルキーの中で、上位にいたる方法は下位の確立と上位の情報（教育）の浸透である。							<br />1050	わたしが覚醒し、わたしの保存傾向を強める過程で、私を固定化、実現化させるために、私は私の位置を確認する。							<br />1051	帰属領域が私を固定する。							<br />1052	すなわち私を規制、束縛するものによって私は自己実現されている。秩序だ。							<br />1053	私は完成されていない。しかし完成されないまま終わるのも選択である。							<br />1054	家→一族、地域→民族→国家・・・これらゆえに人は安定する。							<br />								<br />								<br />３操作　世界への働きかけ								<br />3001	国家間を安定させる。			<br />3002	社会規範が在る。国是、イデオロギー、宗教、言語、習俗、文化、経済・・・これらそれぞれの存在と多様性を認める。			<br />3003	理想、善（偽善）、博愛、おためごかし、共生を認める。			<br />3004	各国の利得が満足される。			<br />3005	自己規制が利得を生む。ように映る。			<br />3006	反目が損である。			<br />　↓<br />3007	利他の中に自己保存(利己）があるというドグマが浸透する。			<br />　↓<br />3008	各々の国益に適うと民意を得る。			<br />　↓<br />3009	交流、混濁、相互作用、一体化？？			<br />　↓<br />3010	利他が是となるべく情報を刷り込む→教育			<br />　↓<br />3010	地球規模の安定的方向性・・・思想システム文化から各国を捉える。			<br /><br /><br />4001	各国家を安定させる。				<br />4002	社会規範というものがいる。日本にあるのか？				<br />4003	国是、イデオロギー、宗教、言語、習俗、文化、経済・・・これらの独自性を保つ。				<br />4004	国の要素としての独自性を保つ中でそれら各要素が変化し必要に応じて国語ががなくなったりは、進化だ。				<br />4005	国家のなかの個人の安定要素、帰属意識を保持する。				<br />4007	国家事業の再評価、再生、開発、利潤追求と利潤の分配。				<br />4008	他国の無駄な国債は買わない。無償援助する。				<br />４日本国への働きかけ					<br />5001	日本国を完成させる。				<br />5002	前提：：：世界に実体はない。世界には意味がない。上下左右高低貴賤も意味を有しない。				<br /><br />5003	優生思想				<br />5004	優生思想を擁護する。				<br />5005	優生思想が問題なのではなく、存在する劣性（あるいは劣化）を卑下したり蔑んだり、除外しようとしたりする品性が下劣なのだ。				<br />5006	あえて劣性を産んだりして将来に辛い負担を残す必要はない。<br />5007	劣性はその環境において死に至るまで手厚く保護される。<br />5008	他の一般のものと同等の保障と権利を有し、当然に必要な補助は当たり前に授けられ、受けるべきだ。<br /><br />5009	優秀劣等という価値基準は非科学的である。<br />5010	しかし、限られた時空の中で、限られた資源を消費して、種が永らえることを是とするならば、選択肢は限られる。<br /><br />5011	階級制度は優生思想と低通している。<br />5012	天皇家系は長い。（怪しいながらも）系統を辿れる家系はそれだけで優秀である。<br />5013	以下に優れた一代の個人も、死ねば数十年で忘却される。100年は持たない。<br />5014	あるいはせいぜい、研究者の書庫に入る。<br />5015	古い物好きの英国においてすら三代先を辿ることは困難であるという。<br /><br />5016	日本の文化を維持しているのは天皇や出雲族私の知らない名家等、一部の残留系統だ。<br />5017	文学、芸能、工芸、食、あらゆる日本としての独自性はここにおいて保管されている。<br />5018	もちろんたとえば、天皇家オンリーが誉むべきものではない。ここだけが残っても何もできない。<br />5019	これらを輔弼してきた、輔弼すことのすべを持つ集団が必要だ。<br />5020	実はそれこそが必要なのかもしれないが、それでもだからこそ高等人種は必要なのだ。<br />5021	それは日本の人口のほんのひと握りでよい。その他大勢がいま、多すぎる。<br />5022	肉体的に頭脳的に優秀な人種がいる。<br />5023	これらは、多くは土壌をもって発育するのであって、突然変異は稀である。<br />5024	彼ら稀種は、そういった要素を保管し強固にすることで、系統を形作るかもしれない。<br />5025	しかし民草は、難しいことは思わず、幸福にのんびりと、後世に煩わされることもなくたのしく暮らしてゆけばよい。<br />5026	あえて子孫も必要としない。<br />5027	家系の保有者は家系保有者と結びつきやすい。<br />5028	背の高い女性は背の高い男性を求める。<br />5029	高等教育者は高等教育者としか話が合わない。<br />5030	賭博を知らない者に賭博のスリリングをいくら力説しても、その感情は伝わらない。<br />5031	割れ鍋に綴じ蓋の譬えだ。<br />5032	さらに。上位は下位に合わせられるが、下位が上位に辿り着くまでには遠いステップがある。<br />5033	上位が下位のラインにまで降りて来てやらねば、会話さえ成り立たない。<br />5034	世界のありように（構造に）は上位も下位もない。<br />5035	上位や下位を設定（選択）するのは人間だ。<br />5036	世界は相互作用によって浮かび上がる。現れる。<br /><br />5037	価値基準というもの<br />5038	優秀劣等という価値基準は非科学的である。<br />5039	我々の生活環境は感情的であり、常に科学的ではない。<br />5040	過去も現在も未来も、我々は科学的であったり中立であったりはしない。<br />5041	常に主観的で偏りがあり、そういう社会の要請のままに、ゆらぎつつ選択圧を被り、収斂してゆく。<br /><br />5042	個人の偉業も肉体もたちまち消失するのに、<br />5043	多くの社会システムや科学といった人類の共有情報は社会に蓄積される。<br />5044	個人と時代と社会の情報が相互作用しながら環境全体、領域全体に溶け込み行き渡るならば、<br />5045	われわれの生きている価値はそれなりに満足するに足る。<br />5046	そうでなければおばあさんのおかげ理論が成立するはずがない。<br />	存在するものは否定されない、否定は感情である。<br />5047	あらゆる現象は並列するだけで、それぞれに価値などというものはない。<br />5048	現象に基準や条件を設けることで、相対した価値が生じる。<br />5049	条件設定を変えれば、それまでの価値は簡単に逆転する。<br /><br />5050	日本には価値基準がない。<br />5051	価値なるものははインターネット的で株式相場的で、ワイドショー的だ。<br />5052	すなはち、場の気配が価値なのだ。<br />5053	学校教育もしかり。ＧＨＱに墨を入れられた教科書すら持て余している。<br />5054	単純な道徳は規範の中核にならない。過去なったことも無い。<br />5055	価値の前提としてあるものが何もない。<br />5056	前提。それは今、場の気配だ。皆が場の気配に頼っている。<br /><br />5057	我々は暗黙裡に社会契約するという。<br />5058	このコミュニティー、この国家に生まれたことはすでに前提条件だ。それがそうというなら契約だ。<br />5059	この社会は何を目的としているのだろうか。<br />5060	それがないのだ。<br />5061	あるのは場の気配だ。<br />5062	形式的に美しく、バランスよろしく、害がなく、曖昧で、ナンチャッテ・ヒューマニスティックで、偽善で、美しい。							<br />5063	幸福で、安定して、平等で、自由で、中立で、健康で、豊かで悩みがない。							<br />5064	そう見えれば、どんな巨悪も善である。善悪は感情であり場の気配だ。							<br /><br />5001	日本国を完成させる。							<br />5065	?@核心的階層　　天皇家、各地方名族、名家、文化継承家、有家業家　							<br />5066	?Aゆらぎの階層　　能力者、頭脳的には頭の図抜けた人種。肉体的には図抜けたアスリート。→遺伝的優性							<br />5067	?B民草≒インスタントファミリー　　無能力国民。何等の何者持たず、日本民族、ホモサピエンスサピエンスに何も残さず何ももたらさない。							<br />5068	?@～?Bは一定ではない。浮沈する。							<br />5069	?Bには教育が要る。幸福に死に至るために、潔くおとなしく死んでゆく為に、その一代において、							<br />	場合によっては数代において社会環境の中で幸福であるために教育が必要だ。							<br /><br />5070	日本国のために必要な人種は?@とあるいは?Aである。民草は野球場の中の観客のようなものだ。必要なのだ。							<br />5071	民草には教育的にも、社会における存在の意味を付与しなければならない。しかも手厚く保障されねばならない。							<br />								<br />5072	国家事業の再評価、再生、開発、利潤追求と利潤の分配。							<br />								<br />5073	民草の保護　以下１→５の順位で重要。							<br /><br />6001	１飢えさせない							<br />6002	成長期のカロリー摂取を義務化する。							<br />6003	飽食を断罪する。Homo sapiens sapiensをミトコン支配から解放する。							<br />6004	学校給食の義務教育期間中の無料提供。							<br />								<br />7001	２教育							<br />7002	劣等を認める。							<br />7003	私の存在理由（ないのであるが）を付与し、立ち位置を安定化させる。							<br />7004	独自性を逸脱に求めさせない。（逸脱はできない。）（暴力、奇行、ひきこもり、いじめ、場当たり的優越安定感。）							<br />7005	逸脱させず情報の真意を知らしめ、知り、納得して死んでゆく。							<br />								<br />8001	３医療							<br />8002	穢れの忌避に基く高度な衛生環境があった。							<br />8003	しかし突出した医療は自然な死を歪め、生を歪める。。<br />8004	死ぬるべき者が死に、生まれざる者は生まれなくてよい。<br />8005	人間は自然環境の中の部分である。<br />8006	生死がある以上、生死を認める以上これは避けてはいけない。<br />8007	僅かな延命や極端な甦生は無意味だ。不幸だ。<br />8007	A尊厳死考察<br />	<br />9001	４住居<br />9002	UR DOGMA　考察<br />	<br />10001	５衣料　<br />10002	装飾、虚飾は個人の自己保存を容易に満足させる。<br /><br /><br />5074	あなたはあなたが選んだものでできている。（オプティー宣言）←1～5に亘って<br /><br /><br />8001	３医療<br />8007	A尊厳死考察<br />8008	身体は私のものであるように見えて、個人の意志に従わない。<br />8009	個人のいうことを聞かないモノのために、個人とその家族はどこまで悩まされればよいか。<br />8010	死の間際に、その肉塊のために懊悩する家族があるならば、幽体離脱してそのシーンを悲しむのは他ならぬ本人である。<br />8011	関わりすぎるのだ。<br />8012	尊厳死に是非はない。<br />8013	生にしがみ付くことにも是非はない。<br />8014	どちらもひとの感情による選択肢にすぎず、本来的世界の成り立ちとはいささかも関わりない。<br />8015	どちらを選択しても世界は何も変わらない。<br />8016	ただ。私と私に関わる者の、瞬間的なひとつの｢記事｣にしか過ぎない。<br />8017	俯瞰すれば、あまりに日常的で記事にすらならない。<br />8018	これまで何人のひとが死に、これから何人のひとが死ぬことだろう。<br />8019	まったく、記事にすらならない。<br /><br />8020	乳幼児医療の無料化							<br />8021	医療の無料化							<br />8022	高額医療と先端医療の評価。							<br />8023	単純延命にくみ与しない							<br />8024	医療保険を低廉化する。国の一括にする。							<br /><br /><br />7001	２教育							<br />7002	上位階層における教育は、国家の安定とその内実は国家を自然幻滅させる。さらに高次に赴く。							<br />7003	上位階層における教育は、Homosapienssapiensの未来のための教育だ。							<br />7004	上位階層における教育それには民草の保護を含む。							<br />7005	民草には教育が要る。							<br />7006	民草には教育的にも、社会における存在の意味を付与しなければならない。しかも手厚く保障されねばならない。							<br />7007	幸福に死に至るために、潔くおとなしく死んでゆく為に、その一代において、							<br />7008	場合によっては数代において社会環境の中で幸福であるために教育が必要だ。							<br />7009	逸脱させず情報の真意を知り、納得して死んでゆく。教育はそのためにあっていい。							<br /><br />7010	劣等を認める。					<br />7011	私の存在理由（ないのであるが）を付与し、立ち位置を安定化させる。					<br />7012	独自性を逸脱に求めさせない。（逸脱はできない。）					<br />7013	逸脱させず情報の真意を知り、納得して死んでゆく。					<br /><br />7014	教育を受けさせる義務を親から国に負わせる。					<br />7015	義務ｊ教育の無料化					<br />7016	公共教育機関の無料化。					<br />7017	公立大学の無料化。					<br />7018	私学の許容					<br /><br />6004	学校給食の義務教育期間中の無料提供。				←	食品企業からの税<br />						食品の消費税<br />						わからない<br /><br /><br /><br /><br /><br />9001	４住居から土地公有		重要研究課題					<br />9002	UR　DOGMA							<br />9003	シルビオ・ゲゼル		減価貨幣システム研究必要				　+ミヒャエル・エンデ	<br />								<br />9004	土地からものとしての価値をなくし、活用する地表として再評価する。							<br />								<br />9005	ＵＲとしての土地の買収、現物納土地の国からの買収。							<br />	↓							<br />9006	土地使用料、家賃←工場、農地、商業施設、住宅							<br />	↓							<br />9007	営利。税金を納める→国庫金として活用できるまでに営利をあげる。・・・当初の時限優遇措置要							<br />	↓							<br />9008	土地を公有化する。公は利潤を分配する。<br /><br />9009	無料住宅<br />9010	一定期間ごとの強制住み替え。停滞させない。汚れる。スラム化する。澱む。<br />9011	老人だけを囲わない。障害者を囲わない。<br /><br />9012	家賃住宅<br />9013	家賃の滞納とサービスの停止。<br />9014	権利の剥奪<br />9015	強制執行権の充実<br />9016	個人住宅は一代限りにする。代を次ぐには税を加算する。<br /><br />9017	60以降の基準サービスの提供<br /><br />	経済的貸与、農地、工場、公共的施設ライフライン関与施設の土地の公有化、施設貸与料、商業施設への加算。<br /><br /><br />5072	国家事業の再評価、再生、開発、利潤追求と利潤の分配。				<br />					<br />	国公営事業の拡大（利潤追求型）				<br />	国公営事業の非公務員化。（共済の解散）←これは選択圧を受けないので、法的に解散させる以外にない。				<br />	公務員の削減。←給与賞与の段階的削減。←等級号俸、多大の年金制度の廃止。				<br />	国の借金の弁済				<br /><br />	非公務員型国公営事業就業のメリット作成。				<br />	↑↓				<br />	公務員の人材流出→民間の活性、必要人員の?@系統からの確保。民草公務員の排除				<br /><br />	国公営事業は薄利ではいけない。利潤追求して、等分配する。				<br /><br />メモ	コミンテルン、共産党、共産社会主義国家の敗因				<br />	闘争を是とした。				<br />	闘争は感情である。感情の国家に調整は取れない。<br />	勝ち負けが確率で訪れる。（自分も負かされる、そういう動機の元に国家が成立した）<br />	イデの精神レベルと実態の精神レベルが甚だしく乖離していた。<br />	国家目標の設定が、利他に至らなかった。各国内の民度が低いからだ。<br />	本当に高い必要はなく、高い振りをすることが保存傾向につながるように価値基準を操作しなかった。<br />	ウェブを通じて秘匿が通じない世界になった。さらになる。暴露は金だ。<br />	個人の保存傾向を無視した。あるいは抑えたか、抑えるように映った。<br />	奉仕や利他が保存傾向につながることを教育しなかった。<br />	教育に偏向があった。誤った。<br />	知らないが、国は本当に高邁な共産の理想を掲げていたのだろうか。<br /><br />	民度の低い地域でばかり革命があった。<br />	革命（暴力）でしか成立されない貧しく無教養で強欲な地域国家ばかりだった。<br />	他の選択・・ひとや国家を認めなかった。既存は受容され、他者の選択は否定してはならない。<br />	階級間を闘争でしか見なかった。<br />	階級を経済的利得でしか把握しなかった。<br />	階級を経済的利得でしか把握し得ない、<br />	精神水準の低い国家でしか革命が起こらないイデオロギー構造をもっていた。<br /><br />	単なる羅列 ]]>
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<dc:date>2009-01-15T14:35:06+09:00</dc:date>
<dc:creator>欠谷幸丸</dc:creator>
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<title>葬送にふれて</title>
<description> こないだ、言いましたっけ。うちのおばの満中陰のとき、墓の納骨の方法についてあれこれ、実務的やりとりがある中で、ふと脱線して土葬の話になって、最近は土葬も少なくなった、というセリフがご院さんから飛び出して、ぼくはその言にハリツケにされたような気分やったが、場は多勢が年寄りということもあったのか、ぼくがひとり、ご院さんのほうにかぶりを振っただけで、以外誰も特別な反応は示さず、めいめいの雑話やらじぶんの
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<![CDATA[   こないだ、言いましたっけ。うちのおばの満中陰のとき、墓の納骨の方法についてあれこれ、実務的やりとりがある中で、ふと脱線して土葬の話になって、最近は土葬も少なくなった、というセリフがご院さんから飛び出して、ぼくはその言にハリツケにされたような気分やったが、場は多勢が年寄りということもあったのか、ぼくがひとり、ご院さんのほうにかぶりを振っただけで、以外誰も特別な反応は示さず、めいめいの雑話やらじぶんの足のシビレの気遣いをおこたることのない、そんな何事もない空気の中で、ご院さんは続けて、滋賀が一番土葬の数が多うございましたがな近頃はそれも減りました、まあそれでもこのあたりでは今でも土葬の多いいうたら滋賀でっしゃろな、とやはり日常会話のようで、受けた喪主の兄ちゃんも、そうですか滋賀でっか、などと普通に会話している。知らんのはぼく一人なのか、土葬は常識の一なのか。なにしろ子供の頃から、火葬以外見たことも聞いたこともなかったので、これには驚かされた。あったんや、まだやってたんや。<br /><br />骨あげなんかにいくと、おかあちゃんら（母の姉たち）が、きまってむかしの話を始める。きれいに焼けてるわぁ、いうのがだいたいの第一声で、むかしの話になれば、たれそれの骨はどんな焼き上がりやった、たれそれは薬をあれだけ飲んでたのにしっかりしてた、さらにもうひとつ古い話になると、たぶん幼少でなくなった彼女らの兄弟であろう子の折は、焼き場のひとに手渡すまいないが少なかったから、顔が生焼けやったとか、このあたりの話は、いいまわしが淡々としているだけにしんに迫るものがあって、渡世の重圧のようなものを背中に感じさせられたりする。そのときは、袖の下つきで再び火を入れてもらったとか、まあ昨今そんなこともなかろうが（知らんけど）何しろ何かで読んだ生半な記憶を繰れば窯の性能はいまや、焼き加減から骨の残量にいたるまで自在に操れる域にあるのだそうで、じっさいキレイさっぱり焼き尽くすことも技術的には可能だと聞いてもいる。そうならこのさい、肉体は煙と共に大空にスッ飛ばして、遺族はかまの掃き掃除をきっちりとして決着する、というのも手ではないかと思ったりする。海に撒くのも結構やが、それもわざわざで、面倒で、だいいち金もかかる。<br />葬式は生きてるもんのためにあるんやな、とはこどもの頃からの感想なのやが、死んだものへのあれこれの煩いは、生きのこる我々の煩いに他ならない。死んだ後もそないさっぱり忘れてくれんと、ちょっとは自分のことに関わってほしいという、いま生きてるもんの自身への願いと執着と（場合によっては情念）が込められているように思う。普段なら来るはずのない遠方からも人が訪れる。死んだもんのために来るというなら、息のあるうちに来ればよさそうなもんやが、たいがいは死んでから来てその闘病の苦悶を哀れみ、共に涙し、飲み、食い、ついでに近況を交換する。しかし、死んでからとはいえ、そうして集まることのできる関わりの中に身を置いた時ぼくなんかは、死んだもんが見知りや親類を、生きてるもんのために呼んで集めてくれたようにも思えて、人と関われるということのありがたさ（それをありがたいと思えなければ意味はないが）をしみじみ想ったりする。<br /><br />墓石は、死人がのこのこ起き出してウロウロせんように、埋めた上に重しを置いておくのが始まりやと何かにあった。そりゃ、死んだものはこころおだやかに活動を停止しておいてもらわんと、後クサレのない世代交代が機能せぬとあっては、生まれるものの価値が年々歳々薄れていく。子は宝なんて、ひょっとすると言えなくなる。（残念ながらぼくは土葬の今様の作法を知らないが）大昔は死体をカメに詰め込む前に、念には念を込めて手足の骨をへし折ったというしな。迷う、迷いでる・・・いう表現があるがこれなんかは、なかなかにリアリティーのある、葬る側から見れば、切実な表現なんやろな。<br /><br />沖縄ではいまでも洞窟みたいな墓室に死体を安置するというし、日本では竹林なんかに放置して、腐り行く経緯をたびたびチェックしては、それを前に酒盛りをしたりする葬送習俗があるとも聞いた。そもそも、奈良時代なんかは「野捨て」という一般単語があるくらいで、死体は郊外の野に打ち捨てたのが、一般的であることを裏付ける。いまはよく違法投棄なんていわれるが、これは国民性かね。<br /><br />その、うち捨てられた死体の物理的にもさりながら、精神的な処理というのがじつは平安室町前までの日本にはなかったというのが、死者に回向する術を持つ仏教の流布につながったという一考もあった。もちろん死者対応は仏教の本業ではない。そこでそういう胡散臭い業務は私度僧と呼ばれる無資格ナンチャッテ僧侶の渡世のしのぎとして暗黙の了解があるらしかった。でも実際をいえばこれこそが庶民感覚の仏教僧であったろうし、これに檀家制度という骨材が移植されると、日本独自の変態仏教が成立するんやろうな。そもそも、奈良の南都各派も、自分たちは葬儀ができないから、末寺のはすっぱ坊主に自分たちの葬送はしてもらうんだと聞いた。あんな大寺の悟りきったような面々ですらとむらいをして欲しいというのなら、われわれ凡夫ではさもありなんやがな。「ザビエル書簡」に、死んだ母を天国に連れて行ってやるにはどうすればよいのかという種の質問が多くで、それはダメなんだということを言い聞かせるのに苦慮するというザビエルのグチりがあるのも、いかにも日本らしい。そこまでいうならこの際はと、四角四面な教義は伏せておくとして、日本特例かなんかで先祖も助けてやれる祈祷なんかを編み出しておれば、キリスト教はもっともっと広まったかも知れん。だいたい、あれかこれか式のはっきりした思潮は日本では長続きせんらしい。たとえば、「悪いのもわかるけどそう性急に詰めずに、まあぼちぼちと・・・」式がええんやね。（これは考えれば、まったく京都方式やがな）<br />2008.8.14無為様。明譽韶光拝。<br /> ]]>
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<title>日本人の知恵</title>
<description> 司馬遼太郎も言うていた。日本人は正義のなんたるかを知っている。それの通らぬことも知っている。人情の機微はよくわかる。それの通らぬこともよく分かる。だからどちらも無理強いすることがない。ほどほどがよい。民意とは、民意を語る人のためにある。民は意を腹の内に抱えるのみである。そんな物騒なものは表に出さない。イデオロギーの剣も正義の刃も振りかざして突っ走ると、走りながら関わる人を傷つける。やがて折れて砕け
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<![CDATA[  司馬遼太郎も言うていた。<br />日本人は正義のなんたるかを知っている。それの通らぬことも知っている。人情の機微はよくわかる。それの通らぬこともよく分かる。だからどちらも無理強いすることがない。ほどほどがよい。<br />民意とは、民意を語る人のためにある。民は意を腹の内に抱えるのみである。そんな物騒なものは表に出さない。イデオロギーの剣も正義の刃も振りかざして突っ走ると、走りながら関わる人を傷つける。やがて折れて砕けて、おのが眉間に突き刺さる。だから、のらりくらりとやるのが正しい。一方、サブリミナルな誘導と謀略が錯綜と連繋の果て、想定外の結果に至る。結果の多くは偶然ではない。だが決して必然でもない。見えていることなど、たかが知れている。隠れた何かを見つけたって。そこは見えてる部分なの。<br />さて、たとえば政治はバランスである。左も右もなく、右と左のバランスとそれの制御が重宝される。なにか偏ったものが覇者になると、なった瞬間から腐敗と崩壊と分解がはじまる。１００年と続いたためしがない。だから結局、消化不良なダレた幸福というものがあってよいのだ。<br />これらは、予言ではない。分析でもない。ただの経験則だ。ただの史実のゆえに、すなわち公理だ。洋の東西、古今のすべてがその通りに足跡を残したのであって、されば未来に忽然と異様な理想郷が顕れるなどはあり得ない。人心はギリシャの以前から進化しない。環境が特にこの数十年で、驚くべき時空の変容を来している。しかし知って、なお動かぬ。世界に知恵を伝播すべし。日本人の愚昧の知恵を高らかに謳え。<br /> ]]>
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<title>緩和ケア</title>
<description> さのさんとこのおかあちゃんが、首から上の癌で、播磨の粒子線治療を受けた。一族の、ぼくと同い年の長男は家長然と、たとえ身代を潰してでも治療を受けると高らかに宣言した。下に続く家人は大いに納得してこれに従った。一日、数分間の放射線の照射を数回。しめて300万。決して気軽な金額ではない。これは、極めて高い確率で癌が完治する。さのさんは安いといった。ぼくはといえば、こういう積極的な治療を潔しとしない風があっ
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<![CDATA[ さのさんとこのおかあちゃんが、首から上の癌で、播磨の粒子線治療を受けた。<br />一族の、ぼくと同い年の長男は家長然と、たとえ身代を潰してでも治療を受けると高らかに宣言した。下に続く家人は大いに納得してこれに従った。一日、数分間の放射線の照射を数回。しめて300万。決して気軽な金額ではない。これは、極めて高い確率で癌が完治する。さのさんは安いといった。ぼくはといえば、こういう積極的な治療を潔しとしない風があった。しかし、高額であるという理由だけで自らその治療を拒みこれを顧みない態度があっぱれであるとも、今思わない。そのあと、寿男兄ちゃんのおかあちゃんが、やはり癌をわずらって、あれこれ転移に転移を重ねた末、医者からそろそろ痛みがひどくなります・・・という段階に至った。至ったと医者が言っているというのを母から聞いて、ぼくは憮然とした。この時世に、素人のぼくですらかねてより緩和医療を聞きかじり、それなりの意識と技術が浸透されているものと疑わなかっただけに、これは落胆の度が著しかった。いまどきは、ふらりと本屋に入れば、その手の本は平積みにされているか、平積みにもされないくらいあたりまえの情報ではないのか。それこそ、10年前ならホスピスと終末医療なんてものは、身も蓋もないような言い回しで、消極的安楽死がごとくに印象されたが、もうがんばらなくていいという医療方針や痛みの90数パーセント以上は実際に取り除けるという技術の進歩がさまざまな形でマスコミによって取り上げられ、クオリティー・オブ・ライフなどというそれらしき横文字も喧伝され、緩和ケアはもう市民権を得ている風に理解していた。この期におよんでなお顔を歪めて、あるいは歪める余力さえ本当はないのに苦痛苦悩を死の瀬戸際まで耐え忍ぶことが美徳であるとはもうたれも思わない。痛くって辛くって苦しくって、それを耐えて。耐えて耐えて耐えて絶えて・・・死んでからやっと「御苦労さま」なんて、死人をバカにしてやがる。日常のなかで、時の訪れを悟り、みなにお別れを言い。こころからそう思える状態で、ありがとうを伝え。来るべくして訪れる死を静かに迎えられるなら、それにこしたことはない。それを一週間が三日になったとしてなにを惜しむことがあるものか。この歳までできなんだことが、その寸前のわずかな時間で出来うるなんて、そんな何かがあるもんか。これからの時間は、すなはちこれまでの時間なんや。この泰平のうき世になんでわざわざ苦しむ必要かあるもんか。しかもそこに、苦しくないという選択肢がれっきとあるのに。<br /> ]]>
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<dc:date>2008-08-04T20:58:38+09:00</dc:date>
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<title>飲みつつ書くということ</title>
<description> たとえば、技術ものの場合。レベル10の者がレベル10の者を批判するのは得心する。しかし、レベル6の者がレベル10を批判するのは、それなりの根拠が必要で、まったく身の置き場所をかえてものを言わぬ限り、レベル6の者が自身が納得しない。だいたい潔くない。悔しかったら、自らの技術をレベル10まで磨いて、さてそれから大いに批判するべきではないか。これは主観やら思い付きではなくて6と10の差異が6の人間には精密に分かるから
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<![CDATA[  たとえば、技術ものの場合。レベル10の者がレベル10の者を批判するのは得心する。<br />しかし、レベル6の者がレベル10を批判するのは、それなりの根拠が必要で、まったく身の置き場所をかえてものを言わぬ限り、レベル6の者が自身が納得しない。だいたい潔くない。悔しかったら、自らの技術をレベル10まで磨いて、さてそれから大いに批判するべきではないか。これは主観やら思い付きではなくて6と10の差異が6の人間には精密に分かるから黙するのである。ここに仮にレベル4の者がいて、10の者を批判するのは一般にあっていい。4は全くの素人とさして変わらない。10の者は鼻で笑いもすらしない。<br />実は10の者は多くの場合何でもできるのである。実はできるということを6の者は気づいている。4の者は気づかない。10の者に何かが欠落していると、仮に４者が思うとする。しかし実は4の者程度が思いつくことのおおかたは、10の者は遠い昔に通過していたりする。いまそう見えるのは、そう見えるようにしていたりする。４の指摘を、10は静かな微笑みで返すだろう。<br /><br />書家は芸術家かと問われていたりする。これはそう思う人にとってそうなのだが、ぼくは技術屋だと思っている。酒を飲んでという話でいえば、ぼくはよく・・・というよりほとんどそうして書いていた。しかしお筆先や自動筆記ではないのだから、トリップか酩酊のすえ、何を書いたのかさえ記憶していないでは、裏の長屋に住むの字の達者なじいさんを呼びつけて、こちとらが寝ているうちに書かすのと大して変わらない。酔っていても、通るべきところを筆が走ってほしい。では結局それは、すめで書くのと変わらない。そう云いながら、ぼくは書くときは臨書でも酒を傍らに書いていた。書いていたが、書いたあとふらつくことはあっても書いているときにふらついてほしいとは思わなかった。朝になってみると、床壁天井に墨が飛散していることがないでもなかったが、そんなときの字は芸術ではなく、ただ爆発していて何の自慢にもならない。書字は偶然を楽しむものではない。さて書、そのものね。これは実のところまったく中途半端や。前衛のモノトーンの画面は、たいがい「ああ、おもろいおもろい」で終わる。先達が微細な技術と胆力を駆使してつらつら文字を書き上げても、先に言うように分かる同業者にしか皆目分からない。では言語ありきの書かというと、あんな漢詩をたれが読める。読めたにしても、文言で書を書くやつはない。文字数と見た目の文字の組み具合、バランスが撰文の判断基準になる。そもそも、文芸やないのやから文言で賞を取った作品などはあり得ないから、そう考えれば、ことばでなければならないものの、あえてことばである必要性はこのことから推してもない。ほんとを云えば全くない。ただ仕様がなくて漢字とかなに固執したものが書と言われているにすぎない。前衛は書道界を逸脱して書の集団を顧みないかというと、この小さな世界でしか所詮は食えないという現実がある。これを蹴って溌剌と外界で通用するのは数人ではないか。なんや、やっぱり御同業御同朋やないか。中学生が、親に衣食住を提供されながら提供する親を完全否定するがごとしで、そんなことを百も承知でしゃーしゃーとずぶとい分、もうひとつ大人はたちが悪い。<br /> ]]>
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<dc:date>2008-08-04T20:55:21+09:00</dc:date>
<dc:creator>欠谷幸丸</dc:creator>
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<title>東名24時</title>
<description> 東名24時
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