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090210 ただの手紙

中学の教科書に湯川秀樹の知魚楽がありました。
これが荘子でしたね。
禅の公案もそうですが、ロジック、理屈、屁理屈、ディベート、まことに苦手な分野です。

大学にはいって読み耽っていたのはカリフォルニアムーブメントと呼ばれた、自然科学の系統です。
タオ自然学というタイトルの本があったように、物理学を主にした自然科学と東洋思想との合体ものでありました。
いま読み返しても断然おもろいのですな。
老荘とタオはイコールではないのでしょうが、そこを詰めることはこの分野では無意味です。
さてこないだからの万葉集と荘子の件。
本の内容について何がいいかのお勧めはぼくには不可能です。残念ながら知見がありません。

ぼくは、どんどん本を始末する人です。
そうはいいながら、棄てては買うを繰り返すものもあり、最終的に手許に残ることになった本はわずかながらに
あります。『萬葉集』もそのひとつです。しかし、手許の本はあまりにメモ書きが多いので、新しいのを探します。

この通信は時系列で書き進めております。
即ち内容の重要性は前後します。

コーヒー戴きました。ありがとうございました。

まことにありがたくありがたく、感涙たえません。うまかったですよ、ほんとに。
ぼくがコーヒーを(自分で買ってきて家で)いただくときは、
「グアテマラの中深炒りで、店で挽いてもらったのを買ってきて、コーヒーメーカーで淹れる。」
ことにしています。
理由ははっきりしていて、あれこれ試しても、違いの分からない男なので、
だれもがそうやって飲める技術無用のやりかたで、なおおいしく頂けるものを合格にする、
と思いついたに過ぎません。コーヒーは粗雑な労働者の飲料と信じているので、
いっぷくしてくつろぐ折のアイテムというよりは、作業の合間に、「ながら」に飲むのが正解に思っています。
が。
こたびのそれは、上品な茶筒ならぬ珈琲筒で、文字もよろしく、
さらには味も香りもまったく好みでありました。

今年、ひょんなことから年賀状を出すことになって、しかし本当はアレではなくて、
ひそかに出そうかな、と思いつつ、試作していたものが・・・実はありました。
その後、その試作品は2010年に回すことにしたので、それをお目にかけると、
無為さんだけは、2010年バージョンを別に作らねばならないという、奇妙なことになってしまいます。
まあいいか。
そこに「いつく」のことばが顕れます。ぼくの生活のなかで、これらは中心課題です。
お店は宮島ですか。伊都岐とは良い名です。また良い画でした。
ありがとうございます。



2009/2/3 節分 無為様、やました拝
ご無礼いたしました。モノを見ておりませなんだので、
その本にも書き込みがありましたか。
ちなみに、この本の後編には『訳文篇』といものもあるわけです。しかし、漢字かな混じりの文や、内容の解説等々はどれを見てもさして変わりません。岩波文庫なら上下巻であったようにも思います。そんなのを参考にしながら、味わうてみてくださりませ。たったそれだけのための一冊です。これだけでは呪文のようなので(きっとことばにそのような機能もあった時代のものなのでしょうが)今人のわれわれには引っ掛かりが稀薄です。ぜひ分かり易そうなのを活用してください。


コーヒーは、ぼくもそんな程度です。ただ、うまい・・・とおもうコーヒーを出す店が口をそろえて、コーヒーは淹れかたではなく炒り方や・・・というもんで、ぼく自身は濃い目が好みというのもありまして、だいぶく深めに炒ってくれたコーヒーに偏執しておるに過ぎません。ただ、炒りは深くても、底の裏の裏の斜め右みたいな面倒な深い味わいは求めていなくて、さばさばとがぶがぶ飲んで、それで終わりみたいな気分なのでありまして、味わうのは飲んだ瞬間5秒程度にして、さっさと次の行動に移れる・・・ものであってよいと(勝手に)決め込んでおります。そこが、労働者の飲み物と申す所以です。

ハワイコナは、飲んだですなあ。あっさりしていました。実は最近はそうでもないのですが、かつて日日大酒をあおっておりました頃は、とにかくヘビーなコーヒーでないと、頭も体も目覚めないという半病人でありましたので、そういう事情も濃いものを好んだ理由でありましょう。BIOはよく看板を目にしますが、ぼくは敷居をまたいだことがありません。東京のウチのOGのひとりが自然食レストランに勤めておりまして、そんな看板に人がなびくのだろうかと、経営を心配しておりましたが、案外入りはよろしいようで、東京というところは頭数の多い分、なんでも成立するのです。いわゆるニッチな需要が成り立つのですな。


で、「齋く」でごわりますなあ、いつく・・・耳さわりのよいことばですなあ。やはり居(い)とか憑く(つく)とか、そんな響きも含んでいるのかしら・・・などと空想がはたらきます。斎宮という名の方が居られましたか。いかにも神に仕えようかというお名前ですなあ。ぼくの知り合いに吉彦譽子というのがありまして、よしひこ-たかこ、と読みました。家は神道でした。ところがあろうことかぼくの友人と結婚して姓が木原と変わりました。なんかもったいないですな。この家は妹も出て、あとが有りません。親戚等はあるのでしょうが、尼崎在の名の系統は絶えます。
さて、宛名の件。ぼくは人との関係を相当削ぎました。残ったのはわずかな身内が10、いまだに帰るたび飲みに行く同級生(幼稚園と小学校の同級生ばかりで、中学高校大学の同級生はひとりもいません。)が7、もう退社した元同僚が3、その他が7、合計27枚です。みな、(無為さんを除けば)特徴もないふつうのひとばかりです。共通するのは、師匠三人を除けば、だれとも利得がありません。釣針をつけずにひねもす糸を垂れている、釣人と魚のかかわりを、ふと思い浮かべます。


3月9日が観音の最終撤去日のようです。7日あたりに入る予定ですので、最悪ピザだけは(もしくはお好み焼きでも)ご一緒いたしましょう。まあ、なんでもよいのですが、うどんやに行けたらな。いけんかなあ。


2009/2/10
無為様 やました拝

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